saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「存在の詩」OSHO (OEJ Books) 06

Pp416ー417

第七話「あのね それ両方もらうよ !」(06)

 

 なぜなら、あなたが現実(リアリティ)を 見られるのは、あなたが 現実(リアリティ)に なったときだけだからだ。

あなたは 幽霊じみた現象だ。

一種の かげろうだ。

どうして そのあなたに 現実を見ることなんかできる ? 

影には 影しか見えない。

心(マインド)が はがれ落ちてはじめて、あなたは現実が見られる。

心(マインド)を通ったら、何もかも非現実的に なってしまう。

心が 投影し、創造し、色づけし、注釈を つける。

何もかも 嘘になってしまう。

 

 それだからこそ、どうやって 無心(ノーマインド)になるか ということが 力説されるのだ。

絶えず 力説されて止まないのだ。

タントラは 言う、「闘うな」と。

もし 闘ったりしたら、あなたは その闘いを 幾生にも渡って続けかねないし、そこからは 何も出てはこないだろう。

だって、まず第一にあなたは 間違ってしまっているのだからーーー。

あなたが〈ふたつ〉と 見たものは、実は〈ひとつ〉にすぎなかったのだ。

 

 そして 第一歩が 踏みたがえられたなら、あなたは目的地に たどり着くことなどできない。

あなたの旅は そっくり「絶えざる脱線」になってしまうだろう。

はじめの一歩は 絶対的に正しく踏まれなくてはならない。

さもなければ決して ゴールには 着くまい。

 

 それならば、絶対的に正しいこと というのは 何だろうか ? 

タントラは、それは〈二〉の中に〈一〉を見ることだ と言う。

〈多〉の中に〈一〉を見ることだ、 と。

一度 あなたが 二元対立の中に〈一〉を 見られたなら、すでに 超越は 始まっている。

これが 王道だ。

 

 

第七話「あのね それ両方もらうよ !」

(06)おわり (07)ヘ つづく