saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第九章 超越するものと一体になる (13)

しばらくして ミルトンは驚いた。
それは呪いではなく 祝福だったのだ。
内側の 無限の色彩に気づくようになった。
極彩色の 世界だった。

きわめて微妙な色合いの、きわめて美しい夢が 彼の前に広がりだした。
偉大な詩は、すべて目が見えなくなってから作られた。
ミルトンは 良い詩人ではあったが、偉大ではなかった。
だが盲目となったとき、もはや良い詩人ではなく、偉大な詩人になっていた。
良い詩というのは、可もなく不可もない中途半端なものだ。
欠点は 見つけられないかもしれないが、それだけのものでしかない。
偉大な詩には、詩を貫いているエネルギーがある。
偉大な詩は 革命を起こす力だ。
全世界を揺るがし、変革するほどの 強い影響力がある。


何度もそういうことが起こった。
ある人が 突然、盲目になる。
その人は 受け入れる。
まさに その受容によって、新しい世界がもたらされる。
客体が消え、主体が その扉を開く。
主体は 超越により近い。
だから、瞑想者は皆、目を 閉じる。


観察したことがあるだろうか。
愛の行為をしているとき、女性は皆、目を閉じるが、男性は けっして閉じない。
男性は 愚かだ。
女性を愛撫しているとき、男性は 相手の女性を見たがる。
男性は 見えるように明かりをつけたがる。
寝室に鏡を置く 馬鹿な連中も たくさんいる。
ただ見たいだけでなく、ぐるっと回りに 鏡を置き、それに映る姿を 見たがる。
さらには、数は少ないが、自動的に作動する カメラを部屋に設置している人もいる。
今 見過ごしても、後で見られるというのだ !

しかし、女性は それほど愚かではない。
ウーマンリブの女性は わからないが。
多分 彼女たちは、何が何でも 男性と張り合わないと 気がすまないから、同様のことをするだろう。
目を開けて 愛の行為をするだろう。
だが、 何かを 取り逃がす。
男性は 客体の次元で、女性は 主体の次元で行為する。
内側が 素晴らしいので、女性は すぐに目を閉じる。
外に見るものなど あるのだろうか。
愛のエネルギーに移り、溶けて流れているとき、そしてオーガズムに達しようとしているとき、見なければならない真実はそこにある。
男性は まったく愚かだ。
体を見ているだけなのだから。

女性の方が良くわかっていて、精神的なものを見ている。
高い立場にいる。

だが、 まだそれは宗教的ではない。
芸術的、美的ではあるが 宗教的ではない。
宗教的になるとき、タントラの境地が 生まれる。
そのとき、あなたは目を開けて見ない、目を閉じても見ない。
観照者を見るだけだ。
体験に 惑わされることなく、体験者を、目撃者を見る。
すると愛は タントラになる。

男性であれ 女性であれ、タントラの次元に移行した人は、起きている出来事に関心がない。
むしろ、彼や 彼女の関心は、そのすべてを見ている 目撃者にある。
この目撃者は 何者か ?
こうした本来の、自然な領域で エネルギーが爆発しているときには、見ている方がいい。
丘の上の 見物人でありなさい。
自分が 男だとか女だとか、肉体に いるとか、自分は マインドだとか、そんなことは忘れて ただ目撃者でありなさい。
すると、あなたは 超越する。
タントラは 超越的だ。

この次元は、日常生活のすべてに 押し広げられなければならない。
何をするにしろ、やり方は 三種ある。
客体的手法、それは科学的、西洋的な やり方だ。
主体的手法、それは 東洋的な やり方だ。
宗教的、超越的手法、そこで 東洋と西洋が出会い融合する。

宗教的方法は 東洋的でも西洋的でもない。

西洋は 科学的で、東洋は 詩的だ。
西洋は 歴史的に考え、東洋は 神話(プラナス)的に 考える。
西洋は 現実を解明することに、東洋は 現実についての幻想、現実についての夢に より関心がある。
西洋は 意識に、東洋は 無意識に より関心がある。
だが、 宗教は 両方を超えている。
宗教は 超意識的マインド、超越的マインドだ。
東洋でも西洋でもない。

まさに 男性と女性が出会うように、東洋と西洋が 出会う。
西洋は男性的で、東洋は女性的だ。
西洋は 意思の力に頼ろうとし、東洋は 身を任せようとする。
だが 宗教は両方であり、同時に それらを 超えている。


「その必要はありません。私には見るべきものが見えるのです」
とブナムは答えた


確かに、素晴らしい宗教的な言葉だ。
観察者が見られるのなら それで充分、いや充分過ぎるくらいだ。
観察者が見られるのなら、あなたが あなたの意識、気づきになれるのなら、それで充分。
すべてを手にしている。

あなたは 神になった、それ以上必要なものはない。


その境地になるよう、精進しなさい。

あなたが 西洋から来たのであれば、一生懸命その境地を求めなさい。

東洋から来たのであれば、それに明け渡しなさい。

西洋から来たのであれば、それを 欲しなさい。

東洋から来たのであれば、受身になって 待ちなさい。


また、あなたが私の弟子(サニヤシン)なら、あなたは 西洋にも 東洋にも 属さない。
私の弟子なら、あらゆる 二元性を落とし、非二元的でありなさい。
あらゆる分割を やめ、単に 個人でありなさい。
あなたが 私と一体なら、超越的なものとも 一体だ。
それが、私が伝える 実存の意味のすべてだ。
私は あなたを 超えたるものへ、究極のものへ 連れていく。
外部には見えないもの、内部にも見えないものへ 連れていく。
だが、 あなたは それになれる。
あなたは すでに、 それ だからだ。


きょうは これくらいにしよう。



第九章 超越するものと 一体になる 終わり・・・ 第十章 東洋と西洋を超えて (質疑応答) へ 続く