saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第10章 「 完全な〈空〉」 第三の質問 (01)

 第三の質問 (01)

「あなたの講話を聴くとき、または ほかのとき、私は、光明を得るために必要なことを すべて自分が知っている、ということを知っています。 そういうときには、私は光明を得ているのでしょうか ?

この明白で表面的な「知ること」は いったいどうやって「在ること」にまで浸透し、「在ること」になることができるのか、どうか 説明してください。 この「知ること」は 私から純真さや、もっと完全な体験的認識を奪っているようにみえます。 その知識が、私の 存在の成長をだいなしにしてしまったのです。 それにもかかわらず、私は、自分の存在というようなものは いっさいないことを知っているので、ひとつになりたいという動機を まったく感じません。」

 

 

まず、初めにーーー

あなたは 言う

「あなたの講話を聴くとき、またはほかのとき、私は、光明を得るために必要なことすべて自分が知っている、ということを知っています」

 

光明を得るために必要なものは 何もない

なのに、どうやって「光明を得るために必要なすべて」を 知ることができよう ? 

光明を得るためには、必要なものは 何もない

〈光明 エンライトンメント〉は あなたの 自然な状態だ

それは 生産され、製造され、創造されるべき 何か ではない

 

もし あなたが、新しいものを製造しようとしているなら、多くのものが必要だ

何も新しいものを製造するのではないなら、いったい 何が必要なのか ? 

あなたは光明を得ている

どうして何かが必要になりえよう ? 

必要なものは 何もない

 

だから

「光明を得るのに必要なすべてを知っていることを、知っている」

と 考えるあなたの観念が、あなたの道の邪魔をしている

光明を得るために必要なものは 何もない

そして 光明を得るためには、何も 知る必要はない

 

〈光明〉は すでに そこにある

それは すでに実状だ

それは 実現ではない

それは 再認識にすぎない

それを もたらすために あなたが努力をしなければならない というのではない

必要なことは ただ、どんな努力もしないことだ

努力を すべて落とすがいい

そうすれば、突然、それは そこにある

それを 見ることができないのは、あなた方が 絶えず それを見る 努力を しているからだ

それを見ようとする あなたの努力 そのものが 障害になっている

 

そして、 あなたは言う

「そういうときには、私は光明を得ているのでしょうか ?」

あなたは、始終、光明を得ている

私の話を 聴くときにではない

『ダイヤモンド・スートラ』から 何かを読むときにではない

ただ そういうときだけにではない

あなたは いつも 光明を得ている

そもそもの始めから 最後の最後まで、あなたは光明を得たままだ

自分は 光明を得ていない と 言って

好きなだけ長く 自分自身をだましつづけることはできる

だが、あなたが光明を得ていることに変わりはない

 

それは、ドラマのなかで 女装している男性のようなものだ

彼が男性であることには 変わりはない

彼は 装いつづけることはできる

自分でさえ 忘れるときがあるかもしれない

彼が いい役者、本当の名優なら、その観念に没入し、それを忘れるかもしれない

しばしの間、彼は、自分は女性だと 思うかもしれない

だが、彼は 何度も何度も 自分が男性だ と いうことに気づく

 

あなた方が、光明を得ていることを 忘れているのは奇跡だ

しかし、あなた方は 光明を得ている

憶えておきなさい

〈光明〉は、いつか 未来に起こる という質のものではない

あなた方は、そもそもの始めから それを たずさえてきている

それは あなた方の 呼吸のなかにあり、心臓の 鼓動のなかにある

それは あなた方を つくっている素材だ

 

「そういうときには、私は光明を得ているのでしょうか ?」

いいや

あるときには 光明を得ていて、あるときには得ていないと 思っているなら

そのときには、あなたは 光明を得ていない

あなたが 知る日

自分はつねに光明を得ている ということを、あなたが知る瞬間 ーーー

そのとき、あなたは 光明を得ている

ひとたび〈光明〉を感じたら、それは芳香のように あなたを包んで、つねに そこに ある

 

それでもなお、あなたは 千と一つのゲームを 遊びつづけることができる

私は 遊んでいる

仏陀は 遊んでいる

だが、 それは たいしたちがいではない

そのときには、そのゲームは 完全な自覚のもとに 演じられている

それは 巻き込まない

それは 拘束しない

 

ひとたび これはゲームだと 知って ゲームを演じたら

そのときには なんの問題もない

そうなったら、あなたは 世間の中にいることができる

そうなったら、あなたは 自分がなりたいと思うもの何にでもなる

それでいて、奥深いところでは 自分が それではないことを 知っている

奥深いところでは、あなたは はるかに遠く隔たったままでいる

あなたは  蓮の花に なる

水のなかに いて、しかも 水は あなたに触れていない

 

 

(01)終わり・・・(02)ヘ 続く