saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第10章 「 完全な〈空〉」 第三の質問 (02)

(… あなたは  蓮の花に なる

水のなかに いて、しかも 水は あなたに触れていない )

 

「そういうときには、私は光明を得ているのでしょうか ?」と、あなたは 問う

「この明らかに表面的な『知ること』が どうやって『在ること』にまで浸透し どうやって『在ること』になることができるのか、どうか説明してください」

 

表面的な「知ること ノーイング」は けっして「在ること ビーイング」には なれない

深い、深遠な「知ること」でさえも けっして「在ること」に なることはできない

知識そのものが、妨害物だ

「知ること」は けっして「在ること」には なれない

表面的であろうと 深遠で あろうとだ

そういう区別を つくってはいけない

それは、 またマインドの 策略だ

それは 知ったかぶりの マインドだ

 

知ったかぶりのマインドは あなたに こう言うことができる

「これは正しい

表面的な知識は、おまえに〈光明〉を与えることはできない

しかし、深遠な知識なら どうだろう ?」

これは再び あなたに仕掛けられた 策略だ

深遠 ? 

そうなったらたしかにあなたは また同じ網の中に 捕らえられている

深遠であろうとなかろうと、知識 それ自体が 表面的なのだ

最も深遠な知識でさえ 表面的だ

知ることは 表面的だ

在ることは、あなたの言う「深遠さ」のなかにある ということだ

 

あなたは 気づかなければならない

マインドは  実に ずる賢い

それは 多くのものを受けいれておいて、再びそれらを裏口から持ち出す

それは こう言うことが できる

「よし、完全におまえに 同意しよう

どうして表面的な知識が おまえに〈光明〉を与えられよう ?

そんなことは不可能だ

私は、深遠な知識を得る方法を おまえに教えよう」

 

「深遠な知識」を得るために いったい何をしようというのだろう ? 

深遠な知識もまた表面的な知識になる

なぜなら、知識は 表面的なものだからだ

せいぜい、あなたは表面的な知識を もっと得るだけだ

知識の量が 増え、その量のせいで あなたは自分が深遠になっている という幻想をもつ

 

あなたは より深い細部のなかへ 入って行くことは できるかもしれない

だが、細部は あなたを深淵ヘ 導かない

あなたは 一つのものに関して 一つのことを 知ることができる

あるいは、一つのものに関して 千のことを知る ということも ありうる

が、 それは たいしたちがいではない、知識は 似たりよったりだ

それは けっして核心を打たず、けっして標的に 到達しない

 

標的に到達するのは、ただ 在る ことに よってのみだ

そして 在るためには、知識は完全に、全的に、無条件に 落とされなければならない

「これは 良い、とっておこう

あれは 悪いから、 捨てよう

あれは 深くないから、 捨てよう」

などという選択は いっさい抜きで、 落とされなければならない

 

もし 少しでも知識を 保持するなら

あなたは 光明を得ないままに とどまる

不思議中の不思議は

あなたをが光明を 得ていながら 無明に とどまりつづけている ことだ

 

この質問は チッパー・ロスから 来ている

彼は この場所では新参者に ちがいない、部外者にちがいない

ここに いることだ

私たちは あなたの知識を ゆっくりゆっくり 取り去る

私の仕事のすべては、人々を〈無知〉にすることにある

〈無知〉には 深みが ある

〈無知〉には 純真さが ある

〈無知〉は 深遠だ

「知らないこと」は どんな限界も 持たない

「知ること」は つねに 有限だ

どうやって それが深遠でありえよう ? 

あなたの知識が いかに偉大でも、それには限界が、境界線がある

〈無知〉だけが 限界を いっさい持たない

 

 

(02)終わり・・・(03)ヘ 続く