saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第九章 「 浄土楽園 」 (07)

 

つい先日の夜、サロジが ここにいた

彼女は、自分が非常に 死を おそれるようになっている と 言っていた

私は 彼女に訊ねた

「なぜ ?  なぜおまえは そんなにおそれるのかね ?」

彼女の答えは すばらしかった

彼女は言った

「それは 死のせいではありません、バグワン

それは、私が まだ 何も知らず、まだ何も 気づかないでいるからです

私は、自分が真理を知らずに死ぬかもしれないことを おそれているのです

それが 私の恐れです」

弟子とは、存在に 非常に関心をもつようになった者だ

それについて知る ことにではなく、 真理そのものに関心をもつように なった者だ

サロジは 死を おそれていない

彼女は、死が 入って来て

私と彼女のあいだに生じている親密さを 妨げるかもしれない と おそれているのだ

死が やって来て、彼女が飲んでいる〈現前〉を こわすかもしれない

彼女の存在に入り、魂のなかの 千と一つのものを変えている その〈現前〉を ーーー

それが恐れだ

 

弟子とは 知ること(ノーイング)に あくせくせず、在ること(ビーイング)に 関心をもつ者だ

彼は 神について 何かを 知りたいのではない

彼は 神を味わい、神という貯水池から飲むことを 望む

その大洋的な エネルギーの 一部になることを 望む

 

憶えておきなさい

ここで あなたが「学生」であるとしたら、あなたは あまり賢明ではない

ここで 学生である ということは、知性的ではない ということだ

ここは 学校ではない

ここでは〈生〉は ひらいている

だが、あなたは「弟子」で なければならない

弟子であることは、マスターに近づくほど じゅうぶんに勇気があること ーーー

たとえ どんな犠牲を払おうともだ

弟子とは、マスターに近づくという 危険を冒すことができる者を意味する

それは 危険だ

あなたが 死ぬがゆえに 危険だ

芽が 死ぬーーーそのときにのみ、花が咲くことができる

種が 死ぬーーーそのときにのみ、樹が現われることができる

あなたは 死ななければならない

そのときにのみ、神が あなたのなかで 花開くことができる

 

 

 “ 世尊は問われた

「どう思うか スブーティよ

 如来がディーパンカラから学んだ法が

 何かあるだろうか ?」”

 

 

ある偉大な探求者は書いている

「私は、 答えを求めて 賢者のところへ行った

賢者たちは 大勢いて、各々が 自分の答えをもっていた

しばらくして 私に わかったのは、彼らは自らを 欺いている ということだった

しかしまた、 私は 別の人たちにも ひとりふたり、偶然 出会った

彼らは、清明な生気をもって 坐し、私の さまざまな問いに 微笑んだ

私が 答えをくれ と 主張したにもかかわらず、寛大にも 私に より深い問いを 与えてくれた

彼らと 共にいると

知恵など すっかり忘れ、 馬鹿と子供にしかできないほど 無邪気に笑う瞬間があった

私は、 真実の賢者からは どんな答えも得なかった

知恵がなかったからこそ、私は 賢者のところへ行った

それなのに、どうやって私が何か 賢いことを理解できただろう ?

たとえ それが表現可能で あったとしても、たとえそれが 語られたとしてもだ

真の賢者は、賢しい解答を与えることが できないほどに 真実だった」

 

真の賢者は あなたに自分の存在を 与える、自分自身を与える

真の賢者は ただ 自分自身をあなたにひらいているだけだ

もし あなたに勇気が あれば、あなたは 彼の存在から飲み、食べることができる

それが、イエスが「私を食べなさい、私を飲みなさい」と 弟子に言うときの 意味だ

 

マスターは 食べられなければならない

マスターは 吸収され、 消化されなければならない

そうして はじめて、あなたは 自分自身の真実に 出会う

学ぶべきものは 何もない

学ぶべき ダルマ、学ぶべき 教え、学ぶべき 哲学など 何もない

 

 

(07)終わり・・・(08)へ 続く