saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第十章 東洋と西洋を超えて (第三の質問) (01)

第三の質問

愛する和尚、
どこかに、私を閉じさせ、堅くし、悲しくし、怒らせ、希望を失わせ、 絶望的にする あの恐れがあります。
それは 非常に捕らえがたいものらしく、実際には触れることすらできません。
どうすれば、もっと はっきり理解できるでしょうか。



悲しみ、失意、怒り、絶望、苦しみ、 不幸に関する唯一の問題は、それらを 取り除きたい と思うことだ。
それが 唯一の障害だ。

あなたは、それらと ともに生きなければならない。
逃れることはできない。
そうした状況にあってこそ、生は成長し成熟する。
それらは 生の挑戦だ。
受け入れなさい。
それらは、仮の衣をまとった祝福だ。
逃れたいと思えば、 取り除きたいと思えば、問題が生じる。
何かを 取り除きたいと思うと、それを 直接見なくなるからだ。
あなたは断罪する。
すると、それは あなたから身を隠す。
無意識の深みへ動いていき、見つけられない 実存の 一番暗い部分に身を潜める。
あなたの実存の最下部に動いていき、そこに隠れる。

そして 当然、深いところに 行けば行くほど問題が多くなる。
というのは、それが実存の未知の場所から あなたに働きかけるため、まったく手の施しようがなくなるからだ。

だから 一番 大切なのは、抑圧しないということ。
一番 大切なのは、どんな状況になったとしても、それが事実であるということ。
受け入れなさい。

その状況が、あなたの目の前に現れるようにしておきなさい。
本当のところ、「抑圧するな」と言うだけでは まだ足りない。
言わせてもらえるなら、「それと友達になれ」と 言いたい。
悲しいのかね ?
ならば、それと 友達になりなさい、それを 慈しみなさい。
悲しみにも 実在性が ある。
それを 許し、抱きしめ、一緒に座り、手を 取り合いなさい。
仲良くしなさい、愛し合いなさい。
悲しみは 美しい !
悪いところなど 一つもない。
悲しいことは 悪いことだと教えたのは 誰なのだろう ?
実際、 あなたに 深みを与えるのは 悲しみだけだ。
笑いは 浅い、幸福は 皮ほどの厚みしかない。
悲しみは 骨の髄まで 染み込んでいく。
それより深く進むものはない。

だから、心配しなくていい。
悲しみと 一緒にいれば、それがあなたを 最奥の核へ連れていってくれる。
それに 乗っていけばいい。
今まで 知らなかった あなたの実存のことが、いくらか わかるだろう。
そうしたものは、悲しいときにしか 姿を見せない、幸せなときには けっして姿を見せない。
暗闇も 良いものだ、それも 神聖だ。
昼だけが 神のものではない、夜も そうだ。
私は こういう態度を、宗教的と 呼ぶ。


「どこかに、私を閉じさせ、堅くし、悲しくし、怒らせ、希望を失わせ、 絶望的にする あの恐れがあります。
それは 非常に捕らえがたいものらしく、実際には 触れることすらできません 」

取り除きたいと 思えば、 捕らえがたくなる。
当然、それは身を守る。
あなたの実存の 最深部に 隠れる。
変装し、とても微妙で 捕らえがたいものになっているから、あなたには 識別できない。
それは 違う名前を持つようになる。

怒りに対して 非常な反感を持っていれば、怒りは 別の名前で 登場する。
プライド、自負心に なるかもしれない。
宗教的な プライド、信心にさえ なるかもしれない。
あなたの道徳の影に 隠れるかもしれない。
あなたの 人格の影に 隠れるかもしれない。
もはや 名前が変わり、非常に捕らえがたく なっている。
別の役を 演じている、だが深部では 依然として 怒りだ。

物事は あるがままに しておきなさい。
あるがままにしておく ーー これが 宗教的勇気というものだ。

私は、バラの園を 約束しない。
棘が そこにある、バラもある。
だが、棘を くぐり抜けない限り、バラには 近づけない。

悲しみを 経験したことのない人に、真の幸福は あり得ない。
幸せには なれない。
悲しみを経験したことのない人の 幸福は、装いに 過ぎない ーー 空っぽで 虚ろだ。

それは、人々の 笑っているときの顔に見られる。
彼らの笑いは きわめて浅い。
まさに唇に塗られた笑いだ。
心とは 無縁、絶対的に 無縁だ。

それはちょうど、口紅のようなものだ。
唇は 赤く、バラ色に見えるが、その赤みは 血液の赤から 来るのではない。
唇が赤いのは 良いが、その赤みは 生気から、細胞から、あなたの エネルギー、活力、若さから来なければならない。
さて、あなたは 唇を塗る、 唇は 赤く見える、だがそれは 醜い。
口紅は 醜い。
だから、口紅を使うのは 醜い女性だけだということが わかるだろう。
美しい女性が、 口紅を使ってどうする ?
まったく 馬鹿げている。
唇が赤く、生き生きしていて、生気があるなら、塗る意味など あるだろうか。
あなたは、唇を 醜い作り物にしている。

あなたの幸せも、口紅のようなものだ。
あなたは 幸せでないし、幸せでないことを 知っている。
しかし、あなたは その事実を 受け入れられない。
その事実を受け入れれば、自我が、 粉々になってしまうからだ。
あなたが・・・幸せじゃないだって !
どうして 受け入れられる ?
内側は 幸福ではないだろうが、それは あなた自身の問題だ。
表に出すわけにはいかない、本当のことを 言うわけにはいかない。
世間では 体面を保たなければならない、人格を維持しなければならない。
そこで あなたは 笑い続ける。
人々の笑いを 観察しなさい、どの笑いが ハートから来ているか、瞬時に わかるだろう。
笑いが ハートから来るとき、あなたは 瞬時に 違った波動が、溢れてくるものが 感じ取れる。
その人は 本当に幸福だ。
唇だけの笑いは 空っぽ ーー 単なる 作り笑いで、背後には 何もない。
見せかけの 笑いだ。

深く笑えない人は、悲しみを抑圧している。
悲しみが怖くて 深く進めない。
たとえ深く笑おうとしても、悲しみが表面に ぶくぶく浮かんでくるのではないかという恐れがある。
それで いつも護っていなければならない。

だから、どんな状況であっても、それを受け入れるようにしてもらいたい。
悲しければ、 悲しい。
これは神が あなたに望むこと。
少なくとも この瞬間は、あなたに 悲しんでほしいと思っているのだ。

真実でありなさい・・・悲しみなさい !
この悲しみを 生きなさい。
そして もし、この悲しみを 生きることができれば、幸福という違った質のものが 生まれてくるだろう。
それは 悲しみの抑圧ではなく、悲しみを 超えたものであるだろう。

辛抱強く悲しんでいる者は、ある朝 不意に、どこか見知らぬ源泉から、幸福が 心の中にやって来ているのに 気づくだろう。

その 見知らぬ源泉が 神だ。

本当に 悲しんでいれば、それが 手に入る。
本当に希望を失い 絶望すれば、不幸で惨めであれば、 地獄に住んでいれば、天国が 手に入る。
あなたは 代価を払ったのだ。



(第三の質問)(01)終わり・・・(02)へ 続く