saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

The Art of Dying 第五章 「所有と実存」(12)

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最後の話だ。

ラビの グロスマンと オ・マレー神父が 晩餐会で席を並べた。
「ハムは どうですか」と 神父が勧めた。
「あいにくですが」と ラビは答えた。

「さあ、食べて。 本当においしいですから」と 神父が促した。
「どうも。 しかし、宗教上の理由で その種の肉は食べないことにしているのです」。

五分後に「実に うまい !」「試してごらんなさい。 お気に召すと思いますよ」、 と オ・マレー神父が言った。
「いいえ、結構です」ラビの グロスマンは答えた。

夕食が済み、二人は握手をした。
「お伺いしますけど、あなたは奥さんと セックスを楽しんでいますか」と ユダヤ人のラビが言った。

「おやおや、私に結婚が許されていないことは ご存知じゃないのですか。
セックスは できないのです」と 神父は答えた。

「試してみるべきですよ」
「ハムより いいですから」と ラビは言った。


私に言えるのは それしかない。
ノーマインド、 実存というものを 試してみるべきだ。
それは 全世界を合わせたものよりも良い。

実存の世界は、唯一 本物の、真実の世界だ。
だから、それと出会わない限り、あなたは 異国の地をさ迷い続ける。
けっして 家には 辿りつけない。
家に辿り着くのは、あなたが 実存の最奥の核に入ったときに限られる。
それは 可能だ。
難しいが 不可能ではない。
骨は折れるが 不可能ではない。
確かに 難しい、だが それは起こった。
私に 起こった、だからあなたにも 起こり得る。

だが、安易な方策に しがみついてはならない。
薬物などで ごまかそうとしてはならない。
知識を 借りようとしてはならない。
集め続けてはならない。

実存は すでに そこにある。
集めるのは それを隠すことでしかない。
いったん 集めるのをやめれば、内部に集めてきた すべてのガラクタ ーー それがガラクタの あなたのマインドだ ーー を 捨てることになる。
そのガラクタを 捨てれば、突然 実存が、完全なる清浄、完全なる美、完全なる祝福として 姿を現す。


尽きることがないとも思える 知恵の蔵から知恵を取り出し、弟子たちに教える ひとりの賢者、当代 切っての賢者がいた。

彼は すべての知識を 一巻の分厚い本にまとめ、自分の部屋の 祭壇に置いていた。
賢者は 誰にも その本を開けさせなかった。

賢者が 死んだとき、彼の許にいた人々は 自分たちを相続人とみなし、本を開け、書かれていることを会得しようと 本のところへ駆けていった。

一 ページしか書き込みがないと知ったとき、彼らは 驚きと混乱と 落胆を覚えた。
目に触れた 一節の意味を掴もうとしたときには、さらに 一層 当惑し、頭を抱えた。

その 一節とは「入れ物と中身の 違いを悟るとき、お前たちは 智を得るだろう」というものだった。

繰り返そう、
「入れ物と中身の違いを悟るとき、お前たちは智を得るだろう」


入れ物とは あなたの意識、中身とは あなたのマインドだ。
入れ物とは あなたの実存、中身とは あなたが蓄積したもののすべてだ。

入れ物と中身、マインドと実存の違いを悟るとき、あなたは 智を得る。

自分が 中身ではなく 入れ物であることを想起し 理解すると、一瞬のうちに あなたは変容する、革命が起こる。

そしてそれは、存在し得る 唯一の革命だ。


今日は これくらいにしよう。



(第五章)終わり・・・第六章 生のアート (質問集)へ続く