saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

The Art of Dying 第五章 「所有と実存」(06)

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これが唯一の違いだ。
普通の幸福と 宗教的な人のそれとの 唯一の違いは、宗教的な人は いつでもどこでも、己の実存の中に入っていけるということ、これだけだ。

今や、直通の道を知った。
ゆえに、外部のものを 縁 (よすが)とはしない。


あなたは 外部のものに頼り過ぎている。
ときには、すばらしい家の中にいることもあろう。
居心地がいい。
すばらしい車に乗って旅行していることもあろう。
車は ぶんぶん唸っている、すべてが順調だ。
気持ちがいい。

そんなふうに感じているとき、あなたは 実存に近づき始める。
ところが、あなたは 誤解する。
この車の おかげだ、これを手に入れなければ、と思ってしまう。
車は 心的刺激を与えただろうが、原因ではない。
すばらしい家も 心的刺激を与えただろうが、原因ではない。

もし原因と考えるなら、あなたは 所有の世界へ入っていく。
そうなったら、最もいい車を所有しなければならない。
最高の車を手に入れなければならない。
それから、最高の家、最高の庭、最高の女性や男性だ。
あなたは 集めに集め続け、ある日 突然、自分の全人生が浪費であったと悟る。
浪費であったと認める。
たくさん集めたが、幸福の源泉を すっかり失った。
物を集めて道に迷った。
その基本的論理は、気分よく幸せに感じるものは 集めなくてはならない、というものだった。

いいかね、物を所有する必要はないのだ。
ただ 自分の内部で 起こっていることを 観察する、そうすれば、外部の力を いっさい借りずに その出来事を手にできるようになる。
それがサニヤシンのすることだ。
すべてを所有する、すべてを得る というのではなく、この世には 所有できるものなど何もないと、いつも心していなければならない ということだ。

何であれ、あなたが持っているものは、心的刺激として働き得るが、原因ではない。
原因は内にある。
だから、外部のものに 頼らなくとも、いつでも どこでも 扉は開けられる。
中に入って 喜びを味わえる。

あなたは もう執着していない。
物は 使える、物は 役に立つ、 私は物に反対しない ーー 覚えておくこと。
ハシディズムの人もそうだ ーー 覚えておくこと。

物は使いなさい、だが、それが幸福の元になる と 信じてはいけない。
使いなさい、役に立つのだから。
だが、 物を ゴールだと信じてはいけない。
それは目的ではなく 手段に過ぎない。
ゴールは あなたの内部にある。
外部のものに 頼ることなく 直接そこに行ける、ゴールとは そういうものだ。
ひとたび ゴールを知れば、あなたは 自分の 実存の主人となる。


私が何を言おうとも、あなたは それを体験しなければならない。

私が 語り、それを 聞き、頭で理解するだけでは 大して役に立たない。



(06)終わり・・・(07)へ 続く