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「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

The Art of Dying 第五章 「所有と実存」(04)

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あなたのギアを、所有の言語から実存の言語へと 変えなければならない。


ちょっとした話を 二つ 三つ。

日本の高官が、自分の娘に 面と向かってこう言った、「お前が、外人とデートするって 聞いている。 そのうえ、アメリカの軍人で、おまけにユダヤ人だっていうじゃないか」。
娘は やり返した。
「どこのおたんこなすよ、そんなこと言ったの」

「おたんこなす」という言葉が、すべてを語っている。
もうこれ以上 何も言う必要はない。

所有の言語しか知らない者は、その人の実存とは まったく違った特質を 有している。
その歩き方、座り方、話し方、使う言葉、使わないようにしている言葉、付き合う人と 付き合いを避けている人、行くところと 行かないようにしているところ、全てが何かを物語る。

たった 一つの日常語でさえ、何かを物語る。

たとえ師のところへ来るとしても、どのようにしてやって来たのか、どのような願いを抱いてやって来たのか、それによって、もっともっと 手に入れようとしている人は、見分けがつく。
明け渡すとしても、まさに その明け渡しの中に、その人の言語を見出すことができる。


ある男が 私に会いに来た。
どのようにしてやって来たかを見て、私に まったく無関心なのがわかった。
そのことは 明々白々だった。
彼は私の方に流れていなかったし、実存の流れもなかった。
動かないエネルギーの溜まり場だった。

私は驚いた。
なぜ会いに来たのか 不思議だった。
それから 神のことを語りだしたのだが、その男が神という言葉を口にするのは 誠に不遜で、何の意味もなかった。
使い方も知らない言葉を 話していたのだ。

この 神という言葉の裏に、何か別のものがあるに違いない、私は待っていた。
男は言った、「私は神を知りたいのです。 そして自分を知りたいのです」。
その言い方、話し振りから、神とか そういうもののために来たのでないことは、完全に明らかだった。
おそらく、単に 私に敬意を表するためか、話を切り出すために そうした小道具を使ったのだろう。

それから程なく、男は言った、「いつかまた来て、サニヤシンにもなるつもりです」。

そこで私は言った、「いやしくもここへ来たのなら、求道者で 神を知りたいというのなら、どうして時間を無駄にするんだね。
実際、もう充分 無駄にしているというのに」。
六十五に届きそうな年齢だった。
男は言った、「その通りです。 しかし、今 私は選挙で 闘っているのです」。
補欠選挙が行われていた。
「ですから、あなたの祝福を 受けに来たのです」。
私は言った、「だったら、なぜ、神や魂や瞑想の話をして 多くの時間を無駄にしたんだね」。


インド人は、そういうことについては お手のものだ。
インド人が こうした言葉を学ぶのも、伝統があるからに他ならない。
こうした言葉は 空中にあり、人々は それらを捕まえてきた。
しかし、実存には 少しも根づいておらず、頭の中を漂っているだけだ。
これらの言葉には、根もなければ 自分たちとの関わりもない。
頭の中にあるだけだ。

私は言った、「なぜ、神や魂の話をして 多くの時間を無駄にしたんだね。
最初に本当のことを言うべきだったろう」。
男は少し動揺していた。
私は続けた、「私は最初から、どうして会いに来たのか不思議に思っていた。
私のところへ来ようとしていながら、来てはいなかったからだ。
あなたの言葉が どういうものか、それは明白だった。
ここに座っていながら、座ってはいなかった。
だから、ここにいるのは偽りで、肉体を置いているに過ぎないことがわかった。
あなたの中には 政治家が見えた。
事実、神の話を持ち出したが、それは政治的道具、駆け引きだった」。
「誠実であることは 最良の政策である」と言う人たちがいる。
そうしたものまで 政策にしてしまう。
政策とは 政治のことであり、「誠実であれば 報酬がある」と彼らは言う。
つまり誠実さも、さらなるお金、名声、尊敬を得るための有用な道具になってしまうのだ。
しかし、どうしてそれが 政策になり得るのだろうか。
「誠実であることは 最良の政策だ」などと 言うこと自体、罰あたりだ。
それは、神は 最良の政策であるとか、瞑想は最良の政策であるとか、愛は最良の政策であると言っているに等しい。

あなたの言語が 所有の言語なら、神や瞑想や物事を利用できる。
だがそれは、単なる装い、仮面であって、その裏には別のものが 隠れている。



「悪い知らせで言いにくいのですが、奥さんは あと数時間しか持たないでしょう。
わかってください、もう手のほどこしようがないのです。
どうか、お気を落とさずに」、と 医者が 口うるさい妻を持つ夫に言った。
「かまいませんよ、先生。
何年も悩まされてきたんです。 あと数時間くらい平気です」。


人々は 違った言葉を所有し、同じ言葉でも 同じ意味では使わない。
言葉ではなく 意味を聴き取りなさい。
言葉を聞いていたのでは、人を理解することは 絶対にないだろう。
意味はまったく別のもの、意味を聴き取りなさい。


ライオンの女性調教師は、猛獣たちを 完全に手なずけていた。
調教師が「来い」と 合図を送ると、最も獰猛なライオンが おとなしく近づいていき、彼女の口から 角砂糖を取った。
観客は皆 驚いた ーー ひとり、ムラ・ナスルディンを除いて。
「そんなこと、誰にだってできるさ」と、客席の中から ムラが叫んだ。
「やってみますか ?」と団長が 馬鹿にするように言い返した。
「もちろんですとも。 ライオンのやった通りにね」、と ムラは答えた。


聞いているときは、いつも 意味の方に耳を傾けるように。
人の言うことを聞いているときは、その人の 全人格に耳を傾けるように。
そうすれば たちどころに、その人が 所有の次元に住んでいるのか、実存の次元に住んでいるのかわかるだろう。

またそのことは、内面的成長と ギアの変換にとても役立つ。
ただ 人を観ていなさい。
最初のうちは、その方が 自分を観るよりも易しい。
観察しやすいし、あなたとの間に 少し距離があるからだ。
自分が関係していないだけに、人に対しては より客観的になれる。
ただ 観ること、それが大切だ。

仏陀は弟子たちに言っていた、「通りを行き来する すべての人を観るがいい。
人々を観て、何が起こっているのか 正確に理解するのだ。
人々は誠に狡猾で 騙すのがうまくなっている、言葉を 聞いてはならない。
何か言ったら、その人の顔、目、存在、しぐさから 聴き取りなさい。
そうすれば、言葉にのみ生きてきた これまでの自分に、たいそう驚くことだろう。
『愛している』と ある者が言う、だが、目が その言葉をあっさり否定してかもしれない。
ある者が 口元に微笑みを浮かべる、だが、 目があなたを蔑んでいるかもしれない。
拒んでいるかもしれない。
ある者が、『こんにちは』と言い あなたの手を握る、だがその人の全存在が、あなたを非難しているかもしれない」。

身体の言語、身振りの言語 ーー 言葉の裏にある言葉を 聴きなさい。
その意味を 聴き取りなさい。



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