saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

The Art of Dying 第五章 「所有と実存」(03)

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あたかも、どこか 上の方から 降りて来るように思える。
だが実際は、あなたの 内部から やって来る。
内部は 超越でもある。


恩寵を得るには 懸命の努力が必要だ。
しかし、結局のところ、本物を出現させるのは 恩寵以外の何ものでもない。
これは 逆説だ。
理解するのは 難しい。
この逆説のため、何百万もの人々が 道に迷った。
努力さえすれば それがやって来るのなら、恩寵や神のことなど 気にかける必要があろうか、と言う人々が 少しばかりいる。
非常に論理的で、その論理には 非の打ち所がない ーー もし努力だけで起こるのなら、よろしい、精一杯 努力しよう、起こしてみせよう。
それで、彼らは 恩寵や神のことを 語らない。
だが、しくじる。
努力だけでは、けっして本物は 現れないからだ。

それから、努力しても絶対に起こらない、恩寵の力でしか 起こらないというのであれば 悩むことはない、待てばいい、神が望めば 必ず起こるのだから、と 言う人々もいる。

ともに しくじる。
一方は「私の努力だけで充分、私 一人で充分だ」という エゴイズムのために、他方は 怠慢、無気力のために。
ともに しくじる。

家に帰る者は、逆説の道を 歩まねばならない。
これが その逆説だ、
「私は 懸命に努力しなくてはならない。
懸命に努力するだけでなく、自分のすべてを賭けなくてはならない ーー そうして はじめて恩寵が受けられる。
だが それは、恩寵によって起こる。
自分にできることは すべてやり終え、
『こちらでは もうできることはありません、今度は そちらからしてもらわねばなりません。 あなたにも 何かしていただきたいのです』と 祈るとき、ある 瞬間が やって来る」


できることを すべて やり終えない限り、神は あなたに働きかけることができない。
まだ やり残しや、自分を 賭け残しているところが あったりすれば、神は助けに来られない。
神は 自ら助くる者のみを助く。

これが ハシディズムの逆説だ。
ハシディズムの人は 懸命に努力する。
だが それでも、究極の開花は 恩寵、神の恩寵によってしか起こらないと信じる。

それはすばらしいことだ。
私たちは とても小さい。
私たちの努力など、大したものは 生みだせない。
私たちの炎は とても小さい。
それだけでは、存在全体を燃え立たせることはできない。
私たちは 水滴に過ぎない。
こうした水滴から 大海は創り得ない。
だが、 水滴が深い祈りの中に 落ちていければ、大海が手に入る。
水滴が くつろぐとき、それ自身の中に 大海を含み持つことが 可能となる。
うわべだけ見れば 水滴は小さいが、中心を見れば とてつもなく大きい。

人間は 両方であり、一つの逆説だ。
意識の最小のもの、原子ではあるが、極小でありながら巨大なものを含み持つ。
人間は 空全体を含み持つ。


だから、まず これら二つの言語を理解しなければならない。
所有の言語と 実存の言語だ。
そして あなたのギアを、所有の言語から実存の言語へと 変えなければならない。



(03)終わり・・・(04)ヘ 続く