saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第八章 残るのは知るものだけ 第五の質問

f:id:saleem:20220402124815j:plain

第五の質問

愛する和尚、

サニヤシンたちが、あなたといるのは 何かの恩恵を受けるためだと言うのを聞いたことがあります。
彼らは、光明とか そうしたものを動機としています。
しかし私の頭には、光明のことも、あなたといることで得られる恩恵のこともありません。
私は、何の動機も持たずに、ただあなたの許にいたいだけです。
意見を お聞かせください。



それなら、なぜ 質問するんだね ?
あなたの質問には 動機がある。
あなたは、私に こう言わせたがっている、「いい子だ。 あなたは完全に正しい。
光明を得るのは 他の人ではなく、何の動機も持たない あなただ」と。
これが 質問の動機だ !

だが、いいかね、あなたは 私を騙せない。
あなたの言葉は 私を騙せない。
あなたの言葉は 動機を隠せない。
なぜ、私に論評してほしいんだね ?
ここにいるのを 楽しんでいるなら、論評などいらない。
本当に私を 愛しているなら、それだけで充分、他には 何もいらない。
愛に 質問はない。
質問がない というのが、愛の特徴だ。

だがあなたは、「これこそ真の道、あなたは正しい道を歩んでいる。 すぐにもあなたは光明を得るだろう。
動機を持って ここにいる他の人たちは、失敗するだろう」と 私に言わせたがっている。

ちょっとした 話をしよう。

フロリダで、あるユダヤ人夫婦が ホテルの部屋を取れないでいた。
残っていたのは、ユダヤ人お断り の営業方針で悪名高いホテルだけだった。

夫が妻の方を向き、「ベッキー、お前の大きな 口を閉じているんだ。
ひと言も話しちゃいけない。
私に 任せなさい。 うまく英語を話すから、フロントの男には絶対わからないだろう。
部屋は 取れる」と言った。

案の定、彼らがフロントまで歩いて行き、ディブが部屋を頼むと、ホテルの従業員は部屋の鍵を手渡し、二人を案内した。

ベッキーが言った、「ディブ、暑いわね。 私たち、プールに泳ぎに行っても平気じゃないの」

ディブは言った、「いいだろう。 でも忘れるんじゃない、ひと言も話しちゃだめだぞ」
二人は更衣室まで降りていった。
ディブが 係の少年に合図をすると、少年は椅子とタオルを用意した。

ベッキーはディブの方を向き、「もう プールに入ってもいいかしら」と 尋ねた。

「いいよ。でも、いいかい、ひと言も話しちゃだめだぞ」と デーブは答えた。

ベッキーはプールの端に行き、片足のつま先を 水中に突っ込んだ。
水は 氷のように冷たく、思わず「Oy vey ! (オィ、 ヴェイ)」と叫んだ。
すると、プールにいた人が 全員、彼女の方を振り向いた。
瞬きもせず 彼女は言った、「どうかなさって ?」


あなたは 騙せない。
いかに押し込もうとしても動機は 姿を現す。
動機は 隠せないものなのだ。
隠す方法はない、隠す言葉はない。
動機は しっかり 姿を現す。

さて、このことは言っておきたい。
その動機は あまり意識されていないだろうが、あまり自覚していないだろうが、そこに ある。
けれども、そこに 何か間違いがあると 言っているのではない。
あなたに罪の意識を感じさせようとしているのではない。
一つ、つねに心得ておくべきことがある。
何事に対しても、罪の意識を持たない ということだ。

動機を持って やって来るのが当然だ。
そこには 何の間違いもない。
動機を持ってやって来るのは、絶対的に自然なことだ。
そうでなかったら、ほかに来ようがないではないか。
動機がなくて ここに来るのは狂人しかいない。
動機もなしに、どうやって来るんだね ?
瞑想を 学ぼう、もっと静かな生を送ろう、愛を 学ぼう、もっと愛のある関係を持とう、この生が 一体何なのか、死というもの、あるいは 死を超えたものがあるなら それを知ろう、という 動機を持たねばならない。
動機なしに 私のところへ来ることはできない。

だから私は、動機を 絶対的に受け入れる、あなたも 受け入れなければならない。
あなたは動機を持って 私のところへ来た。

ここでの 私の仕事は、あなたが動機を落とすようにしてあげることだ。
あなたは動機を持って やって来た。
それなしに 来ることはできない。
それは あなたの仕事だ。
それから 私の仕事が始まる。
あなたが 動機を落とすようにしてあげること。
動機によって あなたは私に近づいた。
だが、それからは 動機自体が 障害になる。
動機を持って来ざるを得なかったが、それからは 落とすことを学ばねばならない。
それを 落としたとき、突然 あなたは、私に近づくだけでなく 私と 一つになる。
近しさにも 距離がある。
いくら近づこうとも、あなたは 離れている。
真の 近しさは、あらゆる距離が、あらゆる近しさが 消えてからでなくては生まれない。
あなたは完全に 私と一つになり、私は あなたと一つになる。
二人に 見えるだけであって、そうではない。

この質問をした動機を 意識しなさい。
そうすることは、動機を落とすのに 役立つだろう。
意識は、動機を落とすための力となる。
何であれ 意識すれば、あなたの手から 滑り落ちていく。
意識して しがみつくことはできない、意識して 腹を立てることはできない、意識して貪欲になることはできない、意識して 動機づけられることはできない。

意識は 変容させる 大きな力であり、あなたの実存に 多くの光を差し込み、闇をすっかり消し去る。

そこで、一つだけ忘れてならないのは、他人の動機を 気にしてはならない ということだ。
それは あなたの知ったことではない。
彼らが 動機を持てば、そのために苦しむだろうし、自ら地獄を 生み出すだろう。
一切 関わらない、自分自身の動機を ただ 見 続ける、なぜ自分が ここにいるのか、深く 深く 洞察し続けることだ。

動機を発見したとしても、罪悪感を抱いてはいけない。
動機が見つかったとしても、それは自然なことだ。
しかし、 自然だとはいっても、永久に そこにあるべきだ と言っているのではない。
自然ではあるが、それは 失くならなければならない。
それが 失くなると、超自然的なことが 起こりだす。
気づかなかったり 隠し続けていたりすれば、けっして失くならない。

他人の動機をさぐる ーー これは マインドの策略なのかもしれない。

あなたは 他人を生贄にしているのかもしれない。
自分の中に 隠しておきたい と思うものは、すべて他人に投影される、これは 人間の マインドに関する 偉大な心理学的真理の 一つだ。

何かを 誰かに 見始めたら、それは メッセージであることを 忘れないように。
直ちに 自分の中へ入っていきなさい。
それは きっと そこにある。
他人は スクリーンの役目をする。
他人に 怒りを覚えたら、自分自身に入っていき掘り起こしなさい。
怒りは そこにあるだろう。
他人の自我が 強すぎる と思ったら、中に入りなさい。
そこに 座っている自我が 見つかるだろう。
内部は 映写機のようなもので、他人は スクリーンだ。
実際には 自分のテープであるものを、他人に映写して 見始める。



(第五の質問)終わり・・・(最後の質問)へ 続く