saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第六章 生のアート The art of living (第八の質問)

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第八の質問

愛する和尚、

私は悲しい子供で、恐るべき青春時代を過ごしました。
また、怒りっぽい青年でした。
しかし 心の奥では、生まれてこの方 ずっと、すべてはおかしく、愚かしく、馬鹿げていると感じていました。
数年前、神学校にいたとき、友人が 私たちの神聖なものに対する受容力は 極めて限られているから、もし神が ジョークを言ったら 私たちは 笑い死にしてしまうだろうと言いました。
その友人の話を思い出したのは、プーナに来て以来、腹を抱えるような ものすごい笑いが私の内側から沸き上がって来るのを感じたからです。
私には、神がジョークを言っているように思えます。
「落ち」も 徐々にわかるようになりました。
少々気がかりなのは、十二月に プーナを離れるのですが、 それまでに「落ち」が 完全にわかるようにはならないだろうということです。

完全にわかるようになったときには、私は 遥かテキサスから、あなたに聞こえるほどの大声で 激しく笑うでしょう。
どうか教えてください、私はこのジョークに耐え、生き延びることができるのでしょうか。




このジョークに耐え 生き延びることはできない。
私が 教えている笑いは、あなたを完全に破壊してしまうようなもの。
私が 教えている笑いは、きわめて破壊的なもの。
それは 磔(はりつけ) だ。
だが、 この破壊のあとにしか 創造はない。
混沌からしか星は生まれない。
この磔の あとにしか復活はない。

いや、この笑いには耐えられない。
もし、本当に笑いを許すなら、あなたはそれに 溺れるだろう、あなたは 消え、笑いだけが残るだろう。
もし あ な た が 笑うのであれば、その笑いは全面的でない。
笑いしかないとき、あなたは いない。
そのとき、笑いは 全面的なものとなる。
そして そのときにのみ、あなたは 神の語るジョークを聞く。

そう、この宇宙全体が ジョークなのだ。
ヒンドゥー教徒は それを リーラと言う。
それは ジョーク、遊びだ。
理解したとき、あなたは笑い出す。
その笑いは 止まることなく ずっと続く。
それは 宇宙全体に広がる。

笑いは 祈りだ。
笑えれば、祈りを知ったことになる。
深刻に なってはいけない。
深刻な人は けっして宗教的になれない。
笑える人だけが、他人だけでなく 自分をも笑える人だけが、宗教的になれる。
徹底的に笑える人、ばかばかしさを、生というゲームを理解し尽くした人だけが 笑いの中で光明を得る。

ノーだ。あなたは「このジョークに耐え、生き延びることができるのでしょうか」と 尋ねている。
いいや、このジョークを聞いたら 生き延びることはできない。
だが、 聞かないのは とても不運なことだ。
生き延びてしまうのだから。



(第八の質問)終わり・・・最後の、そして最も重要な質問 へ 続く