saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第二章 失うものは何もない 第六の質問

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愛する 和尚、

この生が、始まりも終わりもなく、とても神秘的なのは どうしてでしょうか。
説明してください。



さて、私も 馬鹿げた答えを与えているのだが、あなたも 馬鹿げた質問を し始めた。
この生が とても神秘的なのはどうしてかって ?
私が知っているとでも思うのかね ?

それは そうなのだ !
それは事実であって、理論の問題ではない。
私は、理論として 生は神秘的である と言っているのではない ーー 理論なら答えることもできようが。

それは単に そうなのだ。
木々は青い。
あなたは なぜかと 尋ねる。
木々が青いのは、木々が 青いからだ。
なぜ、という問題ではない。

もし「なぜ」と 問うことができ、答えることができれば、生は神秘でなくなる。
「なぜ」に答えられるなら、生は神秘であり得ない。
「なぜ」が 問題にならないこそ、生は 神秘なのだ。

「この生が、始まりも終わりもなく、とても神秘的なのはどうしてでしょうか」。

始まりも終わりもないのが 私のせいであるような気がして、私は罪悪感を覚える。
あって然るべきだ ーー まったく あなたの言うとおり。
だが、どうしようもない。
生には始まりも終わりもないのだから。


こんな話を聞いたことがある。

ムラ・ナスルディンが、弟子の一人に「生というのは 女のようなものだ」と話していた。
私は驚いて 彼の言うことを注意して聞いた。

ムラは言った、
「女を理解している と言う男は、うぬぼれ屋だ。
女を理解していると 思っている男は、騙されやすい。
女を理解している振りをする男は、いかがわしい。
女を 理解したがっている男は、もの悲しい。
一方、理解していると言わない男は、女のことを 理解している !」


生も それと同じ。
生は 女性だ。
生を理解しようとすれば、収支がつかなくなる。

理解のことは全部忘れ、ただ 生を 生きなさい。
そうすれば理解できるだろう。

理解は、知的なものでも理論的なものでもなく、全体的なもの。
言語的なものではなく、非言語的なものだ。
それが、生は神秘だ ということの意味だ。

生は生き得ても、解き明かし得ない。
生は知り得ても語り得ない。
それが 神秘の意味だ。

生は神秘だということの意味は、生は問題ではないということだ。
問題は解きうる。
だが、神秘は 解き得ない。
解き得ぬ謎を孕(はら)んでいる。
だが、生が解き得ないのは 良いことだ。
そうでなかったら、どうなるだろう ?
考えてもみるがいい、生が 神秘ではなく、誰かがやって来て あなたに説明するとしたら ーー 。
そうなったら、どうする ?
自殺するしかないだろう。
自殺さえ 無意味に思える。


生は神秘だ。
知れば 知るほどすばらしくなる。
不意に、生を 生きる瞬間が来ると、あなたは生とともに流れ出す。
あなたと生の関係が、最高潮に達する。
だが、生を 見定めることはできない。
それが そのすばらしさであり、深みに 底がない所以(ゆえん)なのだ。

そうだ、始まりも終わりもない。
生に 始まりや 終わりなど あり得ようか。

始まりとは 無から何かが出現すること、そして終わりとは 何かが存在していて、それが 無の中に消えていくこと。
それは さらに大きな謎となる。
生に始まりがない というのは、単に生がずっと そこにあったということだ。
始まりは あり得ない。

かつてのキリスト教 神学者のように、線を引いて、生が始まった瞬間は ここだ、などと言えるだろうか。
彼らによれば、キリストが生まれる ちょうど四千年前の ある月曜日に生は始まった。
当然、朝だったに違いない。
しかし、その前に 日曜日がなかったら、どうやってその日を 月曜日と呼ぶのだろう ?
その前に 夜がなかったら、どうやってそのときを 朝と呼ぶのだろう ?
ちょっと 考えてごらん。

いや、印は付けられない。つけるのは愚かだ。
何かが なければ、線といえども 引くことはできない。
先ずるものがなければ 線は引けない。
二つのものがあれば 線は引けるが、一つしかないときに、どうやって引くのだろうか。

あなたの 家の周りに囲いが作れるのは、隣人がいるからだ。
隣人が いなければ、囲いの外に 何もなければ、囲いは存在し得ない。
考えてもみるがいい。
囲いの外に まったく何もなければ、囲いは無の中に落ちてしまうだろう。
どうやって存続できる ?
囲いを維持するには、その外に 何かが要(い)る。

生が始まったのが 月曜日だとすれば、それに先行する 日曜日がなくてはならない。
そうでなければ、月曜日は転げ落ちて失くなる。

同様に、終わりもあり得ない。
生は 存在する、ただ存在する。

生は 在リ続けてきたし、これからも在リ続ける、それは永遠だ。

生について 考え始めないように。
考え始めれば、生を取り逃す。
それに費やす 時間は、まったくの 無駄だからだ。

その時間を、その空間を、そのエネルギーを、生を 生きることに使いなさい。


第六の質問、終わり・・・第七の質問へ 続く