saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第五章「マインドを落とす技法」03

「マインドを落とす技法」03

 

( 世界を 全面的に受け容れないかぎり、内側で 安らぐことはできない。

非−受容は 緊張を生み出す。

いったん 一切を あるがままに受け容れれば、世の中で くつろぐことができる )

 

タントラによれば、 これこそが基本だ。

くつろいで初めて、それ以上のことが 可能になる。

もし 緊張し、分割され、戦い、苦悩し、 罪悪感を抱いていたら、どうして超越なんかできるだろう。

内側がそのような 恐慌状態にあったら、彼方(かなた)へ 旅することは不可能だ。

それほどまでに「こちら」に 取り憑かれていたら、超えていくことは 不可能だ。

 

  これは 一見、逆説的だ。

この世を どこまでも敵視する者は、どこまでも この世にいる。

そうならざるをえない。

人は敵から 離れられない。

敵に取り憑かれてしまう。

この世を敵視している人間は、なにをしようと、また なんのふりを しようと、この世に とどまる。

たとえ敵視しようと、捨て去ろうと、その態度そのものが「この世」的だ。

 

  私は ある聖者を見たことがある。

非常に高名な聖者だ。

彼は 金銭に触ろうとしない。

面前に 金を置かれると、目を閉じてしまう。

これでは ノイローゼだ。

こんな人間は病気だ !  

そのせいで 人々は 彼を崇拝する。

人々は 彼のことを きわめて「あの世」的だ と考える。 けっして そうではない。

逆に まったく「この世」的だ。

あなたでさえも それほどには この世的ではない。

いったい彼は なにをやっているのか。

たんに すべてを逆転させているだけだ。

逆立ちしている。

彼は 同じままだ……かつて 金に貪欲だった頃と 同じままだ。

きっと彼は 昔、いつも金のこと、 蓄財のことを 考えていたに違いない。

今は まったく正反対だけれども、内側では同じままだ。

金を 敵視している。

金に触れることが できない。

 

  この恐怖は なにか。

この憎しみは なにか。

そもそも、 憎しみというものは、愛の 逆転したものだ。

なにかを 憎むということは、それを深く愛しているからこそだ。

愛したことが あるからこそ、それを 憎むわけだ。

憎しみ というものは、愛によって初めて可能になる。

なにかを敵視するのは、それに 強くひかれていればこそだ ーー しかし その基本的な姿勢は 同じままだ。 この男は 貪欲だ。

 

  なぜそんなに恐れるのか、私は その男に聞いてみた。

彼は言った、「金は邪魔物だ。 金銭欲に打ち勝つ意志をもたないかぎり、神には到達できない」。

つまり それは 貪欲が形を変えただけだ。

彼は 取り引きをしている。

もし 金に触ったら、神を逃してしまう。

彼は 神を獲得したい、神を所有したい、それで金を敵視している。

 

  タントラは言う、

この世界に 味方もせず、敵対もせず、ただ あるがままに受け容れる。

この世界を相手に 格闘してはいけない。

 

  それは なんの役に立つか。

もし世界を相手に格闘しなかったら、もし世界を相手に「あれか これか」と ノイローゼにならなかったら、もし単純に その中にとどまり、あるがままに受け容れたら、あなたの全エネルギーは 世界から解放され、隠れた領域、 隠れた次元へと向かうようになる。

 

  こちらの世界での 受け容れは、あちらの世界への超越となる。

こちらでの 全面的な受け容れは、もう一方の次元、隠れた次元に向けて、あなたを 導き、変容する。

なぜなら あなたの全エネルギーが 解放されるからだ。

もはや エネルギーは こちらに関わっていない。

タントラが あくまで重視するのは、ニヤーティ、「宿命」の概念だ。

タントラは言う、 この世界を自分の宿命としてとらえ、それについて心を 悩ませてはいけない。

いったん それを自分のニヤーティとして とらえたら、どんなものであろうと 受け容れることができる。

もはや、それを 変えよう、別のものにしよう、自分の欲求にかなうようにしよう などと、心を煩わすことはなくなる。

いったん それをあるがままに受け容れ、それによって煩わされることがなくなったら、あなたの全エネルギーは解放される。

すると このエネルギーは 内側を貫くことができる。

 

  こうした技法が有効なのは、このような姿勢で臨むときだけだ。

さもないと 役には立たない。

一見すると まったく簡単だ。

もしあなたが 今あるがままの状態で こうした技法を始めたら、きっと 簡単に思えるだろう、しかし 成功することは あるまい。

基本的な構造が 欠けている。

受け容れこそが 基本的な構造だ。

受け容れが 背景として存在していれば、こうした非常に簡単な技法が きっと奇跡を起こすだろう。

 

 

 「第五章  マインドを落とす技法」

マインドを落とす技法 03  おわり……

 

 

 

タントラ秘法の書   第四巻

「沈黙の音」

ヴィギャン・バイラヴ・タントラ

 


講話   OSHO

翻訳   スワミ・アドヴァイト・パルヴァ

            (田中ぱるば)

発行者   マ・ギャン・パトラ

発行   株式会社 市民出版社