saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「存在の詩」OSHO (OEJ Books) 11

Pp428ー431

第七話「あのね それ両方もらうよ !」(11)

 

『 二元性を超ゆるは王の見地

   散乱を征服するは王者の行(ぎょう)』

 

散乱というものは、あなたが くり返しくり返し意識を 失うからこそ ある。

瞑想する。

腰をおろして瞑想するーーー。

ある想念が やって来る。

たちまち あなたは 自分自身を忘れ、その想念に くっついて行ってしまう。

あなたは それに巻き込まれてしまっているのだ。

 

 タントラは、征服されなくてはいけないものは ただひとつだ と言う。

それが 散乱だ。

どうする ? 

ただ ひとつーーー想念がやって来ても 観照者のままでいるのだ。

それを 見、観察し、それが あなたという実存を 通り過ぎるのを許す。

ただし、敵でも味方でも、どんな形であれ それにへばりついてしまわないこと。

 

 それは 悪い考えであるかもしれない。

誰かを 殺すという考えだ。

それを 押しやらないこと。

これは悪い考えだ などと言わないこと。

それについて 何かを言った瞬間に、あなたはもう その考えに へばりついてしまっているのだ。

あなたは 撹乱される。

さあ、その考えは あなたを いろいろなものへと連れて行く。

ひとつの考えから、また別な考えヘーーー。

 

 いい考えが来る。

慈悲深い 考えだ。

こんなことを言わないこと。「ああ、 なんて麗しい。 私は偉大な聖者様だ。 全世界に救いを与えたい。 すべての人を開放したいなんて、こんなきれいな考えが浮かんで来るとはねえ」。

そんなこと 言いっこなし。

良かろうが悪かろうが、あなたは 観照者のままでいるのだ。

それでも はじめのうちは 何回もかき乱されるだろう。

さあ、どうしたらいい ? 

 

 もし かき乱されたらーーーかき乱されるがいい。

あまりそれを 気にしすぎないこと。

さもなければ、その心配そのものが 強迫観念になってしまう。

かき乱されなさい。

数分間、あなたは かき乱され、そして不意に、思い出すだろう。

そうしたら OK。

戻ってくるのだ。

がっかりすることはない。

かき乱されていたのは良くないことだった、なんて 言わなくてもいい。

そんなことをしたら またあなたは 二元対立を つくり出してしまう。

善と悪ーーーかき乱される。

それは いい。

受け容れて、戻っておいで。

 

 散乱というものに対してでさえ 戦いを作り出すことはない。

クリシュナムルティが 語り続けているのはこのことだ。

彼は それに とても逆説的な概念を使う。

彼は言う。

「あなたが もし注意散漫ならば、 よ   く   注   意   し   て  散漫でありなさい」と。

それは いいのだ。

はっ と、自分が注意散漫であったのに 気づいたら、注意を起こし、そして〈わが家〉に戻る。

 

 クリシュナムルティは 決して理解されてきてはいない。

そのわけは、彼が 王道に就いているからだ。

もし彼が ヨーギであったなら、彼はごく簡単に 理解されていたことだろう。

彼が 口をすっぱくして、メソッドなどというものはない と言っているのは王道だからだ。

王道には メソッドなんかない。

彼は テクニックなどない の一点ばりだ。

王道には そんなものはない。

彼は 経典など役に立たないと 説いてやまない。

王道には 経典などというものもない。

 

 

第七話「あのね それ両方もらうよ ! 」

(11)おわり (12)ヘ つづく・・・