saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「存在の詩」OSHO (OEJ Books) 10

Pp427ー428

 

第七話「あのね それ両方もらうよ !」(10)

 

 

 これは馬鹿げていて 理屈に合わないように見える。

我々は、〈完全〉というものは 成長なんかできない と 思っているからだ。

なぜなら、我々が〈完全〉と 言うときには、成長の最後のところまで来たものを言うのだからーーー。

だが、 そんな〈完全〉は 死んだものだ。

もし それが成長できなかったら、そんな〈完全〉は 死んでいるのだ。

 

 神は成長し続ける。

神の完全さは、彼が もう成長しないというような完全さじゃない。

彼は 何ひとつ欠けていないがゆえに完全だ。

が、彼は ひとつの完成から さらなる完成へと進んでゆく。

成長は 持続する。

神は  進   化 だ。

不完全から完全へ ではなく、完全から より完全へ、さらに もっと完全への進化だ。

 

 完成が 未来を持たなくなってしまったとき、それは死んでいる。

いまだ ひとつの運動であるとしたら、いまだひとつの開幕であり、ひとつの成長であり、いまだひとつの運動であるとしたら、そのときそれは 不完全のようにも見える。

 

 で、私は あなた方に 言いたい。

不完全でいて、成長し続けなさい。なぜなら、それが 生というものだからだ。

完全であろうと なんかしないこと。

さもなければ あなたは成長を止めてしまうだろう。

石ころだ。

いくら仏像でも それは死んでいる。

 

 それが成長し続けるという この現象のせいで、あなたは 完全を不完全と感じる。

それは そのままにしておきなさい。

あるがままの それを許しなさい。

これが 王者の道だ。

 

『 二元性を超ゆるは王の見地

   散乱を征服するは王者の行(ぎょう)』

 

第七話「あのね それ両方もらうよ !」

(10)おわり (11)ヘ つづく・・・