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第七話「あのね それ両方もらうよ !」(10)
これは馬鹿げていて 理屈に合わないように見える。
我々は、〈完全〉というものは 成長なんかできない と 思っているからだ。
なぜなら、我々が〈完全〉と 言うときには、成長の最後のところまで来たものを言うのだからーーー。
だが、 そんな〈完全〉は 死んだものだ。
もし それが成長できなかったら、そんな〈完全〉は 死んでいるのだ。
神は成長し続ける。
神の完全さは、彼が もう成長しないというような完全さじゃない。
彼は 何ひとつ欠けていないがゆえに完全だ。
が、彼は ひとつの完成から さらなる完成へと進んでゆく。
成長は 持続する。
神は 進 化 だ。
不完全から完全へ ではなく、完全から より完全へ、さらに もっと完全への進化だ。
完成が 未来を持たなくなってしまったとき、それは死んでいる。
いまだ ひとつの運動であるとしたら、いまだひとつの開幕であり、ひとつの成長であり、いまだひとつの運動であるとしたら、そのときそれは 不完全のようにも見える。
で、私は あなた方に 言いたい。
不完全でいて、成長し続けなさい。なぜなら、それが 生というものだからだ。
完全であろうと なんかしないこと。
さもなければ あなたは成長を止めてしまうだろう。
石ころだ。
いくら仏像でも それは死んでいる。
それが成長し続けるという この現象のせいで、あなたは 完全を不完全と感じる。
それは そのままにしておきなさい。
あるがままの それを許しなさい。
これが 王者の道だ。
『 二元性を超ゆるは王の見地
散乱を征服するは王者の行(ぎょう)』
第七話「あのね それ両方もらうよ !」
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