saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「存在の詩」OSHO (OEJ Books) 01

第七話「あのね それ両方もらうよ!」(01)

Pp 390―399

 

詩は また続きます・・・

『 二元性を超ゆるは王の見地

散乱を征服するは王者の行(ぎょう)

行(ぎょう)なき道こそすべてのブッダたちの道なり

その道を踏む者、ブッダフッドに至らん

 

はかなきかなこの世

幻や夢のごと、そは実体を持たず

そを捨てて血縁を断てよ

欲望と憎しみの糸を切り

山林に入りて瞑想せよ

労なくして

ゆったりと「自然なる境地」にとどまるならば

間もなく汝はマハムドラーにたどり着き

無達成なるものを達成せん 』

 

 

 世の中には ふたつの道がある。

ひとつは 戦士の、兵隊の道。

もうひとつは 王者の道だ。

王道 ーーー。

ヨーガは ひとつめの道、タントラは ふたつめの道だ。

そこで まずあなた方は、兵隊の、戦士の道とは何かを 理解しなければなるまい。

そうして はじめて、ティロパが 王者の道という言葉で 何を言おうとしているかがわかるだろう。

 

 兵隊は 一寸また一寸と 戦わなくてはいけない。

兵隊は 侵略的でなくてはいけない。

兵隊は 暴力的でなくてはいけない。

敵が やっつけられなくてはならない。

あるいは 征服されなくてはならない。

 

 ヨーガは あなたの内に 戦いを作り出そうとする。

ヨーガは、何が正しくて 何が間違っているかという はっきりとした区別を与える。

何が良くて 何が悪いか。 何が神に属し、何が悪魔に属するかーーー。

そして、タントラ以外の ほとんどすべての宗教は、ヨーガの道に従っていると 言っていい。

彼らは 現実(リアリティ)を 分割し、そして 内なる闘争をつくり出す。

闘争を通じて、彼らは 前進する。

 

 たとえば、あなたは 自分の中に 憎しみというものを持っている。

戦士の道とは、その内なる憎しみを 打ち壊す道だ。

あなたは 怒りや、強欲や、性欲や、そういう何百万というものを 待っている。

戦士の道とは 間違った否定的なものを 全部打ち壊し、すべての肯定的で正しいものを伸ばす道だ。

憎しみは 打ち壊され、愛が発達させられなくてはいけない。

怒りは 徹底的に破壊され、慈悲がつくり出されなくてはいけない。

セックスは 姿を消して ブラーフマチャリヤ、つまり純粋な禁欲に場所を譲らなくてはいけない。

 

 ヨーガは たちどころに、あなたを刀で ふたつに切り裂く。

正と誤ーーー正しいものが 間違ったものに勝利しなくてはいけない。

どうしたらいい ?   怒りは そこにあるのに ?ーーー

ヨーガは どうしろと言うだろう ?

ヨーガは 慈悲の癖をつけろ と言う。

反対を 作り出せ、と。

あなたが ロボットのように機能しだすくらいまで、それを 習慣化しろ、と。

だから それが兵隊の道と 呼ばれるのだ。

 

 世界中、歴史のどこを取っても、兵隊というのは ロボットまがいの存在に仕込まれてきた。

兵隊は 習慣をつくらなくてはならない。

習慣は 意識なしで機能する。

習慣には どんな覚醒も 必要ない。

それは  あ   な   た  なしで作用する。

 

 もし あなたが癖を 持っていたら…いや、 誰でも癖はある。

それを よく見てごらん。

 

 ひとりの男が ポケットから たばこの箱を取り出す。

見ててごらん。

彼は 自分が何をしているか 全然気づいてもいないかもしれない。

まるで ロボットみたいに 彼はポケットに手を伸ばす。

もし何か 内面的に落ち着かないことがあると、たちまち彼の手は ポケットに伸びる。

彼は たばこを取って吸いはじめる。

彼は その動作を 全部、自分が何をしているのかということさえ 気づかずにやっていたのかもしれないのだ。

一種の ロボットまがいの存在を、我々は兵隊に教える。

 

 兵隊は 言われたとおりのことを しなくてはならない。

彼は 醒めていなくてもいい。

右を向けと言われれば 彼は向かなくてはいけない。

彼は 向くか向かないかなど 考えなくてもいい。

だって、もし考えたりしたら 何もできなくなってしまう。

そんなことをしたら、世の中に戦争などというものは存続できない。

考えることなんか必要ない。

覚醒などというものは必要ない。

彼は 命令を理解できる程度に 醒めていればいい。 それだけの こと。

最小限の覚醒ーーー。

 

 命令が与えられると、さっと たちどころに、機械のごとく 彼はそれに従いだす。

それは、左を向けと 命令されたから左を向くということでさえもない。

聞いたときには もう向いている。

彼が まわっているんじゃない。

彼は 習慣をつけたのだ。

それは ちょうど電気をつけたり消したりするのとそっくりだ。

電球は つこうかつくまいかなどと考えたりしない。

ボタンを押せば 電球はつく。

あなたが 左向け左 と言えば、ボタンが押され、その人間は 左を向いている。

 

 ウィリアム・ジェイムズは こんなことを記している。

あるとき彼が 喫茶店に座っていると、ヒトリの退役した老兵士、それも退役してから二十年余りもたった人が、卵のたくさんはいったバケツを持って通りかかった。

突然、 ウィリアム・ジェイムズは ひとついたずらをやった。

大声で「気をつけ !」と叫んだのだ。

すると かわいそうな老人は、気をつけの姿勢で 直立し、卵は彼の手から落ちてしまった。 こなごなだ。

 

 彼は ひどく腹を立てた。

彼は 駆け寄ると、「なんという悪戯をするんだ !」と 噛みついた。

しかしウィリアム・ジェイムズは、「別にあなたが それに従う必要はないんですよ。

誰だって『気をつけ』と言う自由ぐらいあります。

あなたは それに従えと強制されているわけじゃありません。

誰が従えと言いましたか ?  そのまま 歩き続ければよかったんですよ」と すましている。

と、その男は言った「それは無理だ。 自動的なんだから。

なるほど軍隊をやめてから かれこれ二十年になる。  だが、習慣は根深い。

長年にわたる訓練で 条件反射ができてしまっているんだ」

 

 この 条件反射 という言葉はいい。

その言葉は ロシアの心理学者 パブロフによって つくられた。

それは、あなた方は ただ反射しているにすぎない ということだ。

誰かが あなたの目に 何かを投げつけたら、あなたは 目ばたきするか、目をつぶるかなどと 考えたりはしない。

目は 自然に 閉じる。

ハエが飛んできたら、あなたは目を閉じる。

考える必要はない。 そんな必要なんかない、それは 条件反射だ。

それは  た   だ   起   こ   る。

それは あなたの体癖に 組み込まれているのだ。

それは あなたの血肉と なっているのだ。

それは ただ単に 起こる。

それは どうしようもない。

 

 兵隊は 完全に ロボットまがいになるように仕組まれている。

彼は条件反射の中に 存在しなくてはならない。

同じことが ヨーガによってなされる。

あなたが 怒ると、ヨーガは 怒るな と言う。

それよりも反対のものーーー慈悲を培え、と。

だんだんと あなたのエネルギーは、慈悲という習慣のほうに 流れ込みはじめる。

もしあなたが 長いこと しまい込んでおけば、怒りは 完全に 消え失せるだろう。

あなたは慈悲を 感ずるようになるだろう。

ただし、 あなたは 死んでしまう、生きていない。

あなたは人間でなく ロボットになってしまうだろう。

 

 あなたが 慈悲を持つのは、あなたに 慈悲があるからでなく、ただ その習慣をつけたからにすぎない。

あなたは 悪い習慣をつけることができるのだから、いい習慣だって つけられる。

ある人が 喫煙の習慣をつけられれば、ある人は 禁煙の習慣をつけることができる。

ある人は 菜食主義的な 食事の習慣をつけることができるし、ある人は そうでない食事の習慣をつけることができる。

だが、 両方とも習慣をつけているのに 変わりはない。

そして〈最後の審判〉においては 両方とも同じことだ。

両方とも 習慣の中で生きているにすぎないのだからーーー。

 

 この点は ごく深く熟慮されなくてはならない。

なぜなら、 良   い   習   慣   を   つ   け   る というのは とてもたやすいことだからだ。

良く  な   る  のは とても難しい。

そして「良い習慣」という その代用品は とても安上がりだ。

それは ごく簡単に できる。

 

 現在、特にロシアで ある療法を開発しつつある。

条件反射療法だ。

彼らは、人々は その習慣から抜けきれやしないのだ と言う。

ある人が 二十年間 たばこを吸い続けてきたとする。

どうして彼に それを捨てることなど期待できる ? 

 

 それが 悪いということを 説明することはできるかもしれない。

医師たちは、彼が危険な状況に陥りかねないのだと 忠告もしよう。

ガンが進んでいるかもしれない、と。

だが、 二十年というーーーもうそれは根深い。

もうそれは 骨の髄まで染み込んでいる。

もうそれは 代謝機構の一部だ。

たとえ もし彼がそのつもりになって、そう望んでも、たとえもし真剣に欲しても それは難しい。

それは「真剣な望み」という問題じゃないからだ。

二十年間の 持続的な実践ーーー禁煙なんて ほとんど不可能だ。

さて、 どうするか ? 

 

 ロシアの科学者たちは、何をする必要もないし、何の説明もいらない と言う。

彼らは ある療法を開発した。

その人が たばこを吸いはじめると、彼らは その人に 電気ショックを与える。

そのショック、その苦痛ーーーそれと喫煙が結びついて連動したものとなる。

七日間 その人は病院に入れられ、彼が たばこを吸いはじめるやいなや、たちまち自動的に 電気ショックが 与えられる。

七日後、その習慣は壊されてしまっている。たとえ もし、たばこを吸わせようと説得しても 彼は身震いするだろう。

たばこを 手にした瞬間、彼の全身は ショックの怖さに ブルブルと震えるだろう。

 

 学者たちは、そうなれば 彼はもう絶対たばこなど吸うまい と言う。

彼らは その習慣を、なんとも鋭いショック療法で破壊してしまったわけだ。

しかし、どうかーーー古い習慣を持っていないからといって、ショック療法で 彼がブッダになれるわけでもない。

あらゆる習慣は ショック療法によって変えられ得る。

で、 その人はブッダになるだろうか ? 

もう どんな悪い習慣も持っていないからといって ? ーーー

 

 駄目だ。彼は いまや人間ですらない。

彼は ひとつの機械だ。

彼は ものごとを恐れはする。

それらを することはできない。

恐怖という 新しい習慣を 与えられたからだ。

それこそ 地獄というものの意味するすべてだ。

 

 あらゆる宗教が それを一種のショック療法として使ってきた。

地獄なんて どこにもない。

同じように 天国などというものも どこにもない。

ふたつとも トリックだ。

古い 精神療法的概念だ。

絵に描かれた すさまじい地獄の光景は、ものごころついたばかりのときから、子供に恐怖を与えるのに充分だ。

地獄という名前が出ただけで 恐怖が湧き上がる。

そして、その子は 震え上がる。

 

 これは 悪い習慣を防ぐ ひとつのトリックにすぎない。

そして、天国もまた良い習慣を助長するトリックだ。

 

 

第七話「あのね それ両方もらうよ!」(01)

おわり (02)ヘ つづく・・・