saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第一章 「涅槃(ニルヴァーナ)の境地」 (07)

(…あなたは 自分の物事を 習慣的、機械的に行ないつづける
仏陀が 物事を行なうとき、彼は 完全に そこ にいる
ほかの どこにもいない )


“ 食事が終わり 行乞から帰ると
世尊は衣鉢を収め 両足を洗い
設けられた座に坐り
両足を組み
体を真直ぐに伸ばし
心して前面に注意を据えられた ”


こういう細かいことは 述べられる価値がある

それは ブッダフッドの質を 伝えているからだ
一瞬 一瞬、彼は 覚醒(アウェアネス)のなかに生きている

彼が 何をしているかは関係ない
一瞬 一瞬、彼は 何であれ 自分のしていることに 注意を注ぐ
ある動作を するときは、彼は その動作そのものであり
微笑むときは、その微笑み そのものであり
言葉を発するときは、その言葉そのものであり
沈黙するときは、完全に沈黙している


ブッダを 見まもることは、それだけで ひとつの祝福だ

どんなふうに 歩くか
どんなふうに 坐るか
どんなふうに 動作をするか
どんなふうに あなたを見つめるかーーー

その一瞬一瞬が 輝ける覚醒の瞬間だ
だからこそ アーナンダは報告している
仏陀が来て、衣を整え、両足を洗い
設けられた座に坐りーーーまっすぐに坐りーーー
前面に 全注意を集中したとき
そこには 大いなる 静寂があったにちがいない

この「自分の前面に注意を据える」とは どういうことだろう ?

それは、アナパナ・サティ・ヨーガ と呼ばれる 仏教の特殊なメソッドだ
入息と出息に留意するということ
それが「前面に注意を据える」の 意味だ


仏陀が何かを しているとき
たとえば 衣を着ているとき、彼は その行為に対して 注意を払っている
歩いているときには、歩くことに 注意を払っている

何もしていないときには、入息と出息に 注意を払っている
いずれにしても、彼は 注意を払っている
眠っているあいださえも、彼は 注意を払っている

アーナンダは 一度 仏陀に訊ねたことがある・・・
四十年間 仏陀と共に 過ごしてきて、彼が 一晩中 同じ姿勢のままでいることに驚いたのだ
仏陀は どこであれ 手を置けば、一晩中 そこに 手を置いたままだった
彼は 何度も 見たにちがいない
夜中に こっそり覗いたにちがいない
そうするだけの 値打はあった
いったい仏陀は どんなふうに眠るのだろう ?

彼は 仏陀が、一晩中同じ姿勢で、まさに同じ姿勢でいるのを見て 驚き、
当惑した
彼は 好奇心を 抑えることができなかった

ある日 彼は こう言った
「私が 夜中に起きて あなたの様子を見るのは 正しいことではありません
そんなことは すべきではありません
けれども、私は あなたに好奇心をもっています
そして 私は 当惑しています
あなたは 同じ姿勢のままでいらっしゃるのですか ?
あなたは眠っておられるのですか、それとも 覚醒しつづけておられるのですか ?」

仏陀は 言った
「眠りは 体のなかに起こる
私は それに対して 油断なく醒めたままだ
いま、眠りが 訪れようとしている
いま、それが 訪れた
いま、それが 定着した
体が くつろいできた
手足が くつろいできた
だが、私は 覚醒を 輝かせ つづける」


瞑想は 二十四時間の ものだ
それは 一日 一回やって それで おしまい、というものではない
それは あなたの味わいに ならなければならない
それは あなたの風土に ならなければならない
それは あなたを包むもので ならなければならない

あなたが どこに いようと

あなたが 何を していようとーーー



(07)終わり・・・(08)へ 続く