saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「存在の詩」OSHO (OEJ Books) 15

Pp441ー450

「あのね それ両方もらうよ !」(15)

 

『 はかなきかなこの世

   幻や夢のごと、そは実体を持たず

   そを捨てて血縁を断てよ 』

 

 この言葉ーーー“ そを捨てて血縁を断てよ ”。

これが 誤解されてきたところだ。

それには わけがある。

ん ? というのは みんな世捨て屋ばかりだからだ。

そして、彼らは ティロパが、自分たちの信じていることを 言ってくれていると思ったのだ。

ティロパに そんなことを言えるはずがない。

それではティロパの方向と 全く 逆だからだ。

 

 もし それが夢のようなものだったら、それを捨てる意味がどこにある ? 

現実(リアリティ)なら捨てることができるが、夢は 捨てられない。

それは あまりにも愚かしい。

実体のある世界なら 捨てることができるが、幻の世界は 捨てられない。

 

 朝、あなたは大々的に宣言するだろうか ? 

屋根のてっぺんに登って行って、まわり中のみんなに「私は夢を捨てました !」と 言うだろうか ? 

「ゆうべは いろいろな夢を見たけれど、私はそれを捨てました」と ? 

みんな笑うだろう。

みんな あなたは気が 狂ったと思うだろう。

夢を捨てる人なんか 誰もいない。

ただ単に 目を覚ませば それで済む。

夢を捨てる人なんか 誰もいない。

 

 ある禅のマスターが ある朝 起きると、その弟子のひとりに尋ねた。

「わしは ゆうべ ある夢を見たのだが、それが何を意味するものか、ひとつ解釈してはくれまいか ?」と。

その弟子は 言った、「お待ちなさい。お茶を一杯 持って来てあげましょう」。

マスターは それをいただいてしまうと 聞いた。

「さあ、夢の話は どうした ?」。

弟子 曰く、「そんなこと お忘れなさい。夢は夢ーーー。解釈の必要なんか ありません。

お茶 一服で十分です。目をお覚ましなさい」。

 

 マスターは 言った。

「よろしい。 完全に正解だ。

もし私の夢を 解釈などしていたら、私は お前を寺から 追い出すところだった。

夢を解釈するなど 愚か者しかやらないことだ。

お前は よくやった。

さもなければ、きれいさっぱり ほっぽり出されて、二度とわしの顔など拝めないところだった」と。

夢を見たら お茶を一服して、それで おしまいにすることだ。

 

 フロイトユングアドラーは、この話を知っていたら大層 肝を冷やすところだったろう。

彼らは 他人の夢を解釈することに 一生を費やしたのだからーーー。

夢は 超えられなくてはいけない。

単に それを夢と 知りさえすれば、あなたは それを超越する。

これが 本当の〈放棄〉だ。

 

 世の中に あまりにもたくさんの放棄屋や非難屋がいるために、ティロパは ずっと誤解されてきた。

みんな ティロパが 世を捨てろ と言っていると思ったのだ。

彼は そんなことを言っていたんじゃない。

彼は「それを はかないものと知れ」と 言っていたのだ。

そして、これが本当の〈放棄〉だ。

“ そを捨てて ”という言葉で彼は、それが夢だということを 知れ と言っているのだ。

 

『 血縁を断てよ 』

 

 いままで それは、家庭を去り、親族を後にすることだ と 考えられてきた。

母親を、父親を 子供をーーー。

そうじゃない。

彼は そんなことを 言っているんじゃない。

言えるはずがない。

 

 そんなことを言うのは ティロパには不可能だ。

彼が 言っているのは、人々との 内なる関係を放棄しろ ということだ。

ある人を 自分の妻だなどと 考えるべきじゃない。

「自分の もの」という それが幻想だ。

それは 夢だ。

この子は私の息子だ などと言うべきじゃない。

その「私の」というのが 夢なのだ。

 

 あ   な   た   の   も   の  である人なんか 誰もいない。

いるはずがない。

誰かが 自分のものである という こういう態度を捨てること。

夫、妻、友人、敵ーーーこういう態度を すべて捨てるのだ。

私の だとか あなたの だとか、そういう言葉を はさまないこと。

そんなものは 落としなさい。

 

 突然、そういう言葉を 落としたなら、あなたは 血縁を捨てている。

誰ひとり あなたの ものなんかじゃない。

だからといって それは、逃避するーーー自分の奥さんから 逃げ出す という意味じゃない。

その逃亡自体、あなたが 彼女を 実体あるものと 思っていることを表わしている。

逃亡は、あなたがまだ 彼女を自分のものだと 考えていることを 表わしている。

そうでなければ、なんで逃げ出したりする ? 

 

 あるとき、 一人のヒンドゥー教徒のサニヤシン、スワミ・ラムティルタが アメリカから帰って来て、彼は ヒマラヤに こもっていた。

そこへ 彼の奥さんが 彼に会いにやって来た。

彼は 少しかき乱された。

その弟子で、とても鋭い心の持主である サッダル・ポン・シンが 彼の脇に坐っていた。

彼は見ていて  ラムが乱されているのを感じた。

 

 奥さんが 帰ってしまうと、突然、ラムティルタは そのオレンジ色の衣を 投げ捨てた。

ポン・シンは、

「どうしたんです ?  私は あなたが少しかき乱されているのを 見ていました。

私は あなたがいつもの あなたじゃないのを感じていました」と 聞いてみた。

すると彼は 言う。

「だから この衣を脱いでいるんだ。 私は実に大勢の女に出会ってきたが、一度も乱されたことなどなかった。

彼女が 私の妻だった ということ以外には、あの女に 特別なところは何もない。

その『私の』」が いまだに残っているのだ。

私は こういう衣を着る 資格がない。

私は まだ『私の』を 捨てていない。

私が捨てたのは『妻』でしかない。

そして、『妻』は問題じゃない。

ほかの女は 一度だって 私をかき乱したことなど なかった。

私は 地球をくまなく歩きまわった。

だが、 妻が来ると どうだーーー。

彼女は ほかのどんな女とも変わるところのない 普通の女だ。

ところが突如として 私は乱された。

『私の』という橋が まだそこにあるのだ」

 

 彼は 死ぬまで 普通の服のままだった。

二度と オレンジ色を使わず、自分には その資格がない と 言っていた。

 

 ティロパには、妻だの 子供だのという血縁を切れ などと 言えるはずがない。

違う。

彼が 言っているのは その〈橋〉を捨てろ ということだ。

それを 落としなさい。

それは あなたの仕事だ。

奥さんには 関係ない。

もしも 彼女が、あなたのことを 自   分   の   夫 だ と 思い続けるとしても、それは 彼女の問題であって あなたの問題じゃない。

もし息子さんが、あなたを 自分の父親だと思い続けるとしても、それは 彼の問題だ。

彼は まだ子供だ。

彼には 成熟が 必要なのだ。

 

 はっきり 言っておこう。

ティロパが 言おうとしているのは、内なる〈夢〉や〈橋〉を放棄することだ。

内なる 世間をーーー。

そして “ 山林に入りて瞑想せよ ” これもまたしかり。

彼は 山や森に 逃げて行けと 言っているんじゃない。

これは そういうふうに注釈され、大勢の人が 妻子を後にして 山にはいってきた。

それは 完全な 間違いだ。

ティロパが 言っていることは もっと深い。

それは そんなに浅薄なことじゃない。

それというのも あなたは 山にはいって、しかも 市場に い続けることだってできるからだ。

問題なのは あなたの 心 (マインド)だ。

あなたは ヒマラヤに坐っていたって、市場のことを 考えかねない。

妻、子供、そして彼らに何が起こっているかーーー。

 

 あるとき ひとりの男が、妻や子供や家族を捨てて、弟子としてイニシエーションを受けようと、ティロパのもとにやって来た。

ティロパは町の外の とある寺院に立ち寄っていた。

そこへ くだんの男がやって来る。

中にはいったとき 彼はひとりきりだった。

そしてティロパもひとりだった。

と、ティロパは 彼のまわりを 見まわして言った。

「あなたが来たのは それでいいが、この人垣はどういうことだ ?」

その男は 思わず振り返った。

誰もいないはずだった からだ。

 

 「後ろなんか見るんじゃない。 内を見るんだ。 人垣はそこにある」と ティロパ。

そこで男が 目を閉じると、人垣は 本当にあった。

妻は まだ泣き叫び続けている。

子供たちは 涙を流して 悲しがっている。

彼らは そこに立っていた。

彼らは 町のはずれまで見送りに来たのだった。

友人、家族、そのほかの人たちーーーその彼らが みんないた。

するとティロパは 言い放った。

「出てお行き。 その人垣を置いてくるのだ。 私が弟子入りさせるのは個人だ。 人垣じゃない」。

 

 いや、そのティロパが、世間を捨てて 山にはいれなどと 言えるはずがない。

彼は そんなに馬鹿じゃない。

彼には そんなことは 言えない。

彼は 目覚めた人間だ。

 

 彼が 言おうとしているのは こういうことだ。

もし〈夢〉を、〈橋〉を、血縁関係ではなく 関係そのものを放棄したら、もし〈心(マインド)〉を 放棄したら、突然、あなたは 森や山の中にいる。

あなたは 市場の真ん中に 坐っているかもしれない。

が、 その市場が消え失せてしまう。

あなたは 自分の家に いるかもしれない。

が、 その家が消え失せてしまう。

突然ーーーあなたは 森の中に、山の中にいる。

突然、あなたは ひとりぼっちだ。

そこには あなただけ。

ほかに 誰もいない。

人ごみの 真ん中にいながら ひとりでいることはできる。

ひとりで、しかも 人ごみの中にいることはできる。

あなたは 世間にいながら、しかも山や森に属することもできる。

 

 これは 内的な現象だ。

内なる山々や 内なる森林というものがある。

ティロパには、外の山や森について とやかく言えるはずがない。

それもまた 夢なのだからーーー。

ヒマラヤは プネーの市場と同じだけ 夢なのだ。

なぜなら、ヒマラヤも 市場と同じだけ 外なる現象なのだからーーー森林もまた ひとつの夢だ。

 

 あなたは 内なるものへと 足を踏み入れなくてはいけない。

現実 (リアリティ)は そこにある。

もっともっと深く、あなたの 実存の深みへと 降りて行かなくてはならない。

それでこそ、あなたは 本当のヒマラヤに行き着くだろう。

それでこそ、自分の 実存の 本当の森林に行きあたるだろう。

あなたの 実存の頂と谷間に。

あなたの 実存の高みと深淵にーーー。

ティロパの 言おうとしているのは それだ。

 

 

「あのね それ両方もらうよ !」

(15)おわり (16)へ つづく・・・