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第七話「あのね それ両方もらうよ !」(16)
『 労なくして
ゆったりと「自然なる境地」にとどまるならば 』
それに、彼は そう言わないわけには いかない。
なぜなら 彼は、ゆったりとした 自然な境地につくからだ。
妻や 子供たちから逃げ出すことは 自然じゃない。
まして、全く ゆったりなんかじゃない。
妻や 子や 友や世間を 後にする人間は、緊張するだけで ゆったりとはできない。
捨てようという まさにその努力の中に、緊張が しのび込む。
自然である ということは、どこであれ 自分が 今いるとわかった そ こ に い る ということだ。
もしあなたが 夫であるのならーーーそれもいい。
もしあなたが 妻であるのならーーービューティフルだ。
もしあなたが 母親であるのならーーー結構だ。
そうでなくちゃいけない。
それが なんであれ 自分が今いる 場 所を、今の自分を、そして自分に起こっていることのすべてを 受 け 容 れ て ごらん。
それで はじめて、あなたは「ゆったりと自然に」なれる。
さもなければ、それは空念仏にしかすぎない。
あなた方の いわゆる僧侶や サドゥー、つまり世間から 逃れた人たち。
あちこちの 寺院におわす、実際には 臆病者にしか すぎない人間たちには、ゆったりと自然であることなんか できない。
彼らは つ っ ぱ っ て いる ほかない。
彼らは ある不自然なことを しでかした。
自然な流れに 逆らったのだ。
そう、何人かの人々にとっては それが自然であり得る。
私は 別に自分を市場にしばりつけろと 言っているわけじゃない。
そんなことをしたら 反対の極端を やることになるからだ。
そうしたら、あなたは またまた同じ愚を犯す。
何人かの 人たちにとっては、僧院に いるのは 完全に自然なことであるかもしれない。
そういう人たちは 僧院にいなくてはいけない。
何人かの 人たちにとっては、山に こもるのが完全に自然なことであるかもしれない。
そういう人は 山にいなくちゃいけない。
判断の ものさしとして 心 (マインド)に とめるべきは、「ゆったりと自然で」あることだ。
もしあなたが 市場にいて 自然なら、ビューティフルだ。
市場も また神聖なり。
もしあなたが ヒマラヤにいて ゆったりと自然に感じるのなら、ビューティフルだ。
どこも おかしくない。
ひとつだけ 覚えておきなさい。
“ ゆったりと自然であれ ” ーーー。
無理をしたり、自分の実存の中に緊張を つくろうとしたりしないこと。
リラックス だ。
第七話「あのね それ両方もらうよ !」
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