( 第二話より抜粋 ) Pp120−121
“空をさまよう雲には
根もなくまた家もなし”
同じことが あなたの 想念についても言える。
同じことが あなたの 内なる空についても真なのだ。
想念には 根がない。
ちょうど雲のように 彼らはさまよう。
だから、それと戦う 必要はない。
あなたは それに敵対しなくてもいい。
想念を止めようと がんばる必要さえもない。
これはあなたの中で ひとつの深い認識に なるべきことだ。
なぜなら、ひとりの人間が 瞑想に興味を持ちはじめるとき、必ず彼は 考えることを止めようとするものだから。
もし あなたが 考えることを止めようとなどしようものなら、かえってそれは 決して止まりはしない。
まさに その止めようとする努力自体が ひとつの想念なのだから。
瞑想しようというまさに その努力自体 ひとつの想念だ。
ブッダフッドを達成しようという、まさにその努力そのものが ひとつの想念なのだ。
どうして ひとつの思考を ほかの想念で止めることなんかできる ?
どうして 心(マインド)を ほかの心(マインド)をつくり出すことによって 止めることができる ?
そんなことをしても、あなたは そのほかの心に しがみつくだけだ。
そして、それは 吐き気を催すくらいくり返す。
それには きりがない。
戦わないことだ。 戦うのは誰だか考えてごらん。
あなたはいったい何をやっている ?
たかが 想念じゃないか。
自分自身を、ひとつの想念が ほかの想念と戦う戦場にしてしまわないこと。
それよりも むしろ〈観照者(witness)〉でいるのだ。
あなたは ただ、たくさんの想念が漂っているのを 見守るだけでいい。
それらは 必ず止まる。
ただし、あなたのストップによってじゃない。
それが止まるのは、あなたが もっと醒めることによってであって、それらを止めようとする、あなたの側の どんな努力によるものでもない。
OSHO『存在の詩』tantra The Supreme Uuderstanding
2020年 7月3日 初版 第1刷発行
講話 OSHO
翻訳 星川 淳
発行所 OEJ Books 株式会社
発売所 株式会社 めるくまーる