saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

質疑応答「あなた自身が問題……」by OSHO

「あなた自身が問題……」05

 

 私たちの使う言語ゆえに、この二元性のゆえに

こういった 深遠なものごとが語られるときには、どんなものでも偽りになってしまう。

 

 私たちは、ゴータマ・ブッダは〈光明〉を得た と言うが それは偽りだ。

ゴータマ・ブッダは まったく光明など得なかった。

ゴータマ・ブッダは無明そのものだった……

彼が そこにいなかったとき

彼が 不在になったとき

それは 起こったのだ――― ! 

 

 或る日、突然 彼は、自分が馬鹿馬鹿しい型に はまっていることに 気がついた。

自分自身が 問題であることに気がついた……

だから、その自分が 何をしようとも

問題は 増すばかり……

正しいことをやるか まちがったことをやるか

あれにするか これにするか

そういったことの問題ではなく

 何 を  や ろ う と も 

それは 自我を強めるだけのこと―――

 ブッダは このことに目覚めたとき

―――とはいえ この覚醒までには、何年もの努力が あったが ひとたびこのことに気づいたとき―――

 “私が 何をしようとも、それは私のエゴを ますます助けるだけだ……” と 気づいたとき

彼は 為 す こ と を 落としてしまった。

その覚醒の瞬間に

彼は 無為の人と なった

行為のいっさい無い人と なった。

 

 憶えておくがいい、これが問題なのだから……

あなた方は、無為からさえも行為を生じさせることができる。

あるいはまた、無為が生じるのを助けるような行為を生むこともできる。

しかし、そこで あなた方は 取り逃す―――

 

 あなたは 静かに動かず 立っていられる……

静かに沈黙して 坐ってもいられる……

が もしあなたが 努力して 静かに立っているのだったら

その 立っていることは 偽りだ。

あなたは 立っているのではない。

あなたは  動 い て い る…… !

 

もしあなたが 静かに沈黙して坐っているとして

そうするのに 努力があるようだったら

もし 静かに 沈黙しようとしているのだったら

その沈黙は 偽りだ

あなたは 静かではない。

 

 仏陀が 自分自身こそ問題なのだ と 目覚めたとき

自分の中から出てくる どんな行為も、自我(エゴ)の実体を増すばかりだった と 気がついたとき

彼は、 ただ  落 と し た ……

 彼は

無為の状態を創りだそうとするどんな努力もしなかった

彼は 何もしなかった……

ただ 起こるがままに ものごとが起こっていただけだった

 風は そよぎ渡り

樹々は 踊っていたにちがいない。

それに、その夜は満月―――

〈実在〉全体が 祝福していた。

息が からだの中に 入ってきてはまた出ていく。

血が 血管の中を循環している。

心臓(ハート)の鼓動、そして脈拍―――

すべてが 起こっていた―――

彼が為していたことは 何ひとつなかった。

 この無為の内(なか)で

ゴータマ・シッダルタは 消え去っていた―――

朝になる頃には

〈光明〉を  受 け る 者は もはや そこにはいなかった。

そこに在ったのは ただ〈光明〉だけ……

 あの菩提樹の下に坐っていたのは

一つの空虚な乗(じょう)・媒介にすぎなかった。

もちろん 息はしている

もちろん鼓動は 聞こえている

むしろ今までよりずっとよく―――

すべてが完全に機能していた……が

そこには それを 為 す 者 は いなかった。

血液は循環し

まわりの〈実在〉するもの すべてが

生き生きと 踊っている……

 仏陀の肉体の 原子 一つ 一つが踊っていた

息づいていた。

これほどに活き活きしたことは かつてなかった。

今や

エネルギーは ひとりでに動いている。

誰も それを 強いる者はなく

誰も それを 操作する者は いない。

 仏陀は 一片の白雲になった―――

〈覚醒〉が 起こったのだ……

 

 それは あなたにもまた起こりうる。

だが、そこに希望をいだいてはならないよ。

 

 

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