saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第八章-質疑応答「第二の質問」01

・・・第二の質問 01

  (質問)

『どうやったら性行為を瞑想的体験へと変えることができるでしょう。 なにか特別なセックスの体位はあるのでしょうか』。

 

 

  体位は重要ではない。

体位には あまり意味がない。

肝心なのは態度だ ーー 身体の姿勢ではなく マインドの姿勢だ。

でも マインドが変われば、たぶん体位も 変えたいと思うだろう。

なぜなら マインドと体位とは 関連しているからだ。

でもそれは 根本的なものではない。

 

  たとえば 男は いつも女の上だ、女の上にのる。

これは 利己(エゴイスト)的な 体位だ。

なぜなら 男は いつもこう考えているからだ、「自分のほうが偉い。 優れている。 高等だ。

どうして女の下になれるだろう !」。

 

ところが世界じゅうの 未開社会では、女のほうが 男の上になる。

だから アフリカでは男性上位のことを「宣教団(ミッション)の体位」と呼ぶ。

初めてキリスト教の宣教団(ミッション)が アフリカへ行ったとき、未開人の目には、彼らキリスト教徒の やっていることが わからなかった。

「そんなことをしたら 女が死んでしまう」と 未開人は考えた。

 

  男性上位の体位は、アフリカでは、ミッションの体位と 言われていた。

アフリカの未開人によれば、男が女の上にのるのは 乱暴だ。

女のほうが 弱い。  華奢(きゃしゃ)だ。

だから 女を上にしたほうがいい。

ところが男にとっては、「自分が女より低くなる。 女の下になる」と 考えるのは難しい。

 

  マインドが変化すれば、いろんなことが変化する。

どちらかといえば、女が上になったほうがいい。

それには いろいろ理由がある。

もし女が 上になれば、女は受動的だから、あまり乱暴なことはしない。

彼女は ただリラックスする。

そして男は 女の下で あまり動けない。

だからリラックスするほかない。

これは いいことだ。

男が上になれば 暴力的になる。

彼は いろんなことをやり、女の側はなにもする必要がない。

タントラでは リラックスが肝心だ。

だから 女が上になったほうがいい。

女のほうが 男より ずっと上手にリラックスできる。

女性の心理は受動的だ。

だから たやすくリラックスできる。

 

  体位は いろいろあるだろうが、あまり こだわらなくていい。

心のほうを 変化させるのだ。

生の力に 明け渡し、 その中で流れる。

そのうち、真に明け渡すことができれば、身体は その時々に必要な体位をとる。

もし ふたりが深く 明け渡していたら、互いの身体が必要な 体位をとる。

 

  毎日 状況は変化する。

だから前もって体位を決めておく必要はない。

前もって決めようとすること自体が 問題だ。

決める ということ、それは つねにマインドによって行われる。

つまり 明け渡していない ということだ。

 

  明け渡すということは、ものごとに それ自身の形をとらせることだ。

もしふたりともが 明け渡していれば、それは すばらしいハーモニーとなる。

ふたりは いろんな体位をとるかもしれないし、なんの体位もとらず ただリラックスするかもしれない。

それは 生の力によるものであって、前もって 頭で決定するものではない。

前もって決定する必要は なにもない。

決定こそが 問題だ。

セックスをすることについてさえ、あなたは 本を参照する。

 

  世の中には、「いかにセックスをするか(ハウ・ツー・セックス)」という本がある。

これこそ 私たちの生み出した精神構造だ ーー いかにセックスするかについてすら 本を参照する。

すると そのセックスは 頭のものとなる。

すべてを 考えてしまう。

マインドの中で リハーサルを行ない、それを 演じる。

すると、その行為は 複製(コピー)になってしまう。

けっして真のものではない。

稽古したものを 演じているだけだ。

それは 演技であり、本物ではない。

 

  肝心なのは、ただ明け渡し、生の力と ともに動くことだ。

そこに なんの恐怖があるのか。

なにを 恐れているのか。

もし恋人と 一緒にいて 恐怖をなくすことができなかったら、いったい どこで恐怖をなくすのか。

ひとたび、「生の力は、おのずから事に対処し、必要な道をとる」と 感じたら、そこから自分の生全体に対する 根本的な洞察が 生まれる。

すると生全体を〈神〉に 任せることができる ーー あなたの恋人に。

 

  すると あなたは、自分の生全体を〈神〉に任せる。

もはや 考えることもなく、また計画も ない。

未来を強いて 自分に従わせもしない。

ただ自分自身を、〈神〉に従わせ、〈全体〉に従わせ、未来へと 向かわせる。

 

 

01おわり…02へ つづく

 

 

 

タントラ秘法の書   第四巻

「沈黙の音」

ヴィギャン・バイラヴ・タントラ

 


講話   OSHO

翻訳   スワミ・アドヴァイト・パルヴァ

            (田中ぱるば)

発行者   マ・ギャン・パトラ

発行   株式会社 市民出版社