saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』について - その三 マ・デヴァ・ワドゥーダ 、 マ・ヨガ・ランジャナ、

『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』についてーー その三

   マ・デヴァ・ワドゥーダ

   マ・ヨガ・ランジャナ

 

【瞑想を試す】

 

  私が強調したいのは、和尚の姿勢は非常に科学的だということです。   技法についてなにを語ろうと、彼はけっしてそれを信じろとは言いません。   いつも自分で試してみるように言います。   もしあなたがこの本を読んでも瞑想を試さずに本棚に戻してしまったら、瞑想はたんなる情報あるいは知識にとどまってしまい、あなたの探求の役には立たないでしょう。   もちろんすべての技法がすべての人に役立つわけではありませんが、この百十二の技法のうちには少なくともひとつ、それぞれのタイプの人間にアピールする方法があることでしょう。

 

  いろんな技法について和尚の語ることを読んでいくうちに、きっとひとつピンとくるようなものがあると思います。   それを試してみてください。   なにかなじめそうなものがあったら、三日間それと遊んでみるのです ーー リラックスして、気楽に。   三日たってまだ気持ちが良かったら、そしてそれが自分の覚醒を高めてくれそうだったら、三ヵ月間試してみましょう。   

 

  最初に読んだとき、言葉の上では理解できたとしても、試しながらまた読み返してみるのは大切なことです。   そうすれば自分が何か体験した後に、その微妙な点やニュアンスがつかめるようになります。   瞑想を真剣にやってみると、そのうちに何が本物か分かるようになるでしょう。   だからどの瞑想であっても試してみれば、きっと身をもってその効果を知ることができると思います。   でも注意すべき点がひとつあります。   和尚によると、技法とは「行なう」ためのものではありません。   ですから結果指向になってしまうことを極力、避けてください。

 

  『至福は副産物だから、直接つかむわけにはいかない。

   じつに繊細な現象なので、間接的にしか近づけない。

   なにかほかのことをやると、それが起こる。

   直接にはできない……結果のことしか頭になかったら、それはけっして起こらない。

   するとまったく変なことになる。

   人々は私のところへ来て言う ーー 瞑想すればこれこれが起こるとあなたは言いましたが、いくら瞑想してもそれは起こりません ーー たしかにそのとおりだ。

   だが前提条件を忘れている。

   結果については忘れることだ。

   行為の中に入れば入るほど、結果は早く起こる。

   それはいつも間接的に起こる。

   それについては攻撃的にはなれない。

   暴力的にはなれない。

   あまりにも繊細な現象なので、攻撃はできない。

   それが現れるのは、ほかのことに没頭しきっていて内側の空間が空っぽのときだけだ。

   これらの技法はすべて間接的だ。

   精神的な出来事については、直接的な技法はない』。(第二巻より)

 

 

  いったん体験が自分のものになったら、信じることが起こってきます。   こんな物語があります。   貧しい木こりの話ですが、これら瞑想法についての私の体験をよく物語ってくれるものです。

 

  木こりが森の中である老人に出会いました。   老人はスーフィー(イスラム密教)の神秘家でした。   老人は木こりに尋ねました、「近くに銅の鉱脈があるのになぜ木を伐るのか。一日働けば 一週間分稼げるのに」。  そこで木こりは銅を拾い集めてみました。   すると本当に 一週間分の実入りがあったのです。   彼がお礼を言いに戻ると、神秘家は言いました「もう少し先へ行けば銀の鉱脈があって、一日働けば 一ヵ月分稼げる」。   そこで男が銀を掘ると、一ヵ月分の実入りがありました。   彼がまたお礼を言いに行くと、神秘家は言いました「もう少し先へ行けば金の鉱脈があって、一年分稼げる」。   次にやって来たときには、木こりは新しい服を着て、ずっと元気そうに見えました。   そしてもう少し先に行けばもっとなにかあるのかとスーフィーに尋ねました。   するとダイヤモンドの鉱脈があると スーフィーは言いました。   木こりは 一生分掘り出しました。   しかしそこでふと気がついたのです。   スーフィーは木の下に座っていて、金だのダイヤだのまったく気にかけていないということに ーー。   神秘家は言いました「この世にはダイヤモンドより以上のものがある。 自分自身の鉱脈を発見しないかぎり、なにも見つけていないも同然だ」と。

そこで木こりは神秘家のそばに座り、大きな歓喜を持って 一日を過ごしました。  そのあとで木こりは神秘家に、なぜ最初からこの至福について話してくれなかったのか尋ねました。   するとスーフィーは答えました、

「そんなことをしても聞いてはくれなかったろう。 最初はダイヤモンドが必要だ。 さあもう帰っていい。 もう宝の鉱脈は自分の中にある」。

 

  この話は 和尚についての私の体験をよく物語ってくれます ーー 一九七六年以来、何年にもわたって、話を聴き、探求し、誤解し、そしてこれらの瞑想を発見した体験を ーー。  

少しずつ少しずつ、和尚の言葉に導かれて自分自身に近づいていくにつれ、だんだんと信頼が深まっていき、今その信頼はとても深く、とても強いものとなりました。   そして瞑想法を試したことの報いも、また同じくらいに深く、強いものとなりました。

       一九九〇年一月十九日 和尚は肉体を去りましたが、こんな言葉を 残しています ーー 

 

   これから自分は「わたしの人々」の中に溶け入っていく……

 

   もしあなたが その「人々」のひとりだったら、まさしくこの言葉どおりになったと思うでしょう。

そしてこの和尚の言葉も以前にもまして貴いものとなったことでしょう。

また、もしこれがあなたにとって 和尚と接する第一歩だとしたら、『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』を読んでその技法を体験することで、きっと和尚の臨在と不滅のエネルギーに浴し、その祝福を受けることができるでしょう。

そのエネルギーの波に乗って、めくるめく旅に出かけましょう ーー 自分自身へと還る旅へ。

 

 

タントラ秘法の書   第四巻

「沈黙の音」

ヴィギャン・バイラヴ・タントラ

 


講話   OSHO

翻訳   スワミ・アドヴァイト・パルヴァ

            (田中ぱるば)

発行者   マ・ギャン・パトラ

発行   株式会社 市民出版社