saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第七章「第十の音の技法」03

「第十の音の技法」03

 

( ウイルヘルム・ライヒは 身体構造について 詳しく研究した )

 

そして 心と身体の 深い相関関係を見つけ出した。

たとえば、恐れを抱いている人間の場合、その腹部は 柔軟ではない。

その腹部に 触れてみればわかるが、まるで 石のようだ。

その恐怖がなくなると、腹部は たちまちリラックスする。

あるいは 腹部を リラックスさせると、その恐怖は 消え失せる。

腹部を リラックスさせるよう マッサージをすると、恐怖は やわらぐ。

 

  愛情深い人間は、身体の質が 違っているし、温かみが ある。

身体的に 温かい。

一方、愛情深くない 人間は冷たい。

生理的に 冷たい。

なにか 冷たいようなものが 身体の中に入り、それが障壁となる。

そういった障壁によって、自分の身体を知ることが できなくなる。

すると 彼の場合、身体は 身体の道を行き、彼は 彼の道を行き、そこに 裂け目が生まれる。

そういった裂け目は どうにかしないと いけない。

 

  たとえば、抑圧的な人間が いるとする。

怒りを抑圧している 人間がいるとする。

すると その指、その手には、抑圧された 怒りの感覚がある。

それを感じることのできる人は、手に 触るだけで、怒りの抑圧を感じ取る。

なぜ 手なのか。

なぜなら、怒りは 手によって 解放されるからだ。

もし 怒りを抑圧していたら、それは 歯や歯茎に抑圧される。

それは 触ればわかる。

その場所からは、「自分は ここに抑圧されている」という波動が 放たれている。

 

  もしセックスを抑圧していたら、それは性感帯のところに ある。

セックスを抑圧している人間がいたら、性感帯に 触ってみると、その抑圧が 感じられる。

どの性感帯でもいいから、触ってみると、抑圧されているセックスは そこにある。

その性感帯は、触られるのを 恐れ、あとずさりする。

オープンではない。

当人が 内側で あとずさりしているせいで、身体のその部分が あとずさりする。

触られることによって 風穴が開くのを 恐れている。

 

  現在、 女性の五十パーセントが 不感症だと言われている。

その理由は、女のほうが男より 抑圧的に教育されるからだ。

それで 女たちは ずっと抑圧してきた。

女が 二十歳になるまで 性的感情を抑圧していると、長い習慣になってしまう。

二十年間の抑圧だ。

すると、たとえ彼女が愛したり、愛を 語ったりしても、身体はオープンにならない。

閉じている。

すると、相反(あいはん)する現象が起こる ーー ふたつの流れが 互いに対立し合う。

自分は 愛したい、でも身体は 抑圧的だ。

身体は あとずさりする。

近寄っていく準備が できていない。

 

  もし女が 男と一緒に座っていて、女がその男を 愛していたら、女は 男のほうに傾く。

身体が 傾く。

もし ふたりが長椅子に 座っていたら、両方の身体は 互いに相手に向かって傾く。

ふたりは 気づかないが、実際 そうなっている。

しかし 女が その男を 恐れていたら、身体は 逆の方向に傾く。

もし女が 男を愛していたら、女は その男の近くで 決して脚を組まない。

もし 恐れていたら、彼女は 脚を組む。

自分では 気づいていない。

それは 意識的に なされるものではない。

それは 身体の 鎧だ。

身体は 自分自身を守り、それ自身の仕方で 機能している。

 

  タントラは この現象に気づいた。

このような 深い身体感覚、感受性に気づいたのは、タントラが最初だ。

タントラによると、もし身体を 意識的に用いることができたら、身体は 精神へと向かう乗り物となる。

タントラによると、身体に敵対するのは愚かだ、まったく馬鹿げている。

使うのだ !     それは 乗り物だ。

そのエネルギーを 適切に使って、それを 超えていくのだ。

 

  さて、

『耳を押さえて ふさぎ、

    直腸を収縮させて ふさぎ、

    音の中に 入る。』

 

  よくあることだが、直腸を収縮させているとき、それが 無意識に開いてしまうことがある。

突然 恐ろしいことが あったりすると、直腸は 開く。

 

03 おわり…04へ つづく

 

 

 

 

タントラ秘法の書   第四巻

「沈黙の音」

ヴィギャン・バイラヴ・タントラ

 


講話   OSHO

翻訳   スワミ・アドヴァイト・パルヴァ

            (田中ぱるば)

発行者   マ・ギャン・パトラ

発行   株式会社 市民出版社