saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第2章(質疑応答)「トータルであることは至福だ」(02)

最初の質問

(02)

( ある意味で もはや 彼は 動物と違っていた。

なぜなら、意識するようになったからだ )

 

人間は 自分たちと動物との間に 差をつけようと 服を着る。

 

そして、我々は 自分たちの中の 動物のような何かを、いつも 恥ずかしく思う。

誰かが 動物のようなことをすると、

「君、 何してるんだ ? 君は 動物か ? 」と 言う。

 

誰かの したことが全く動物のような行為である と はっきりすれば、その人を 非難できる。

 

我々は セックスを 非難する。

それは セックスが 動物的だ からだ。

 

我々は、もしそれが どこかで動物と つながっているとしたら、どんなことであれ 非難できる。

 

意識と ともに非難が −−− 動物への非難が訪れる。

そしてこの非難が、身体 全体に 抑圧を生み出した。

なぜなら、人間は 動物の一種だ。

だが、人間は動物を 越えられる。

が、それは また別のことだ。 しかし人間は 動物だ。

人間は動物を越えられる。

が、人間は 動物から やって来た。

人間は 動物の 一種だ。

しかし ある日、人間は 動物としては存在しないかもしれない。

人間は 動物を 越えていける。

だが、人間は 動物から引き継いだものを 否定はできない。

それは そこにある。

 

ひとたび「自分たちは 動物とは違う」というマインドが 人間の中にやって来たら、自分の中の 動物から引き継いだ あらゆるものを 抑圧し始める。

その抑圧が 分岐を作り出す。

だから、すべての人間は 二つに、二重に なっている。

実際は、 根本は 動物の ままだ。

 

理知、頭脳は抽象的だ −−− 神について 延々と考えている。

マインドの 一部だけが、あなたに「自分である」と 自己確認され、 全体は 否定されている。

 

身体においてでさえ、我々は 区別している。

下半身は なにか否定すべきもの と されている。

 

 

 

(02)終わり(03)へ 続く