saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第1章「人間 −− 永遠と永遠の架け橋」(03)


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(03)

( その微妙な 瞬間のなかで、あなたは 自分の内に 核を感じ始める。

だから 危険なゲームが 人々をひきつけるのだ。)

 

グリシャンカール、すなわち エベレストの頂きに上ろうとしている人に 聞いてごらん。

初めて ヒラリーがエベレストの頂きに 到達したとき、

彼は 自分の内に 核を 感じたに違いない。

また、誰かが初めて 月面に立ったとき、

突然、核が存在するという感覚が 訪れたに違いない。

 

危険が 人々を惹きつけるのは そのためだ。

あなたが 車を運転しているとする。

そして、もっともっと スピードを上げていく。

すると スピードが危険になる。

その時、あなたは 考えることができない。 思考は 止む。

その時、夢を見ることはできない。

想像することはできない。

 

その状況では、現在その瞬間が、 実のあるものになる。

その 危険な 状況において、即死が あり得る状況の時、

あなたは 突然、自分の 内側の核に 気づく。

危険に惹かれるのは、その危険な状況で、核を 感じるからだ。

 

ニーチェは どこかで こう言っている。

「戦争は 絶えず存在するに違いない。 戦争においてのみ、時々 我々は 自己を −−− 核を感じるからだ」と。

なぜか ? 

それは 戦争が 危険だからだ。

そして死が 現実のものになると、

生きることは 集約されたものになる。

死が すぐそばにあると、生きることは集約されたものになり、あなたは統一される。

だが、 いつであれ あなたが自分自身を意識したとき、そこには 統一がある。

 

だが、もしそれが 状況によるもので あれば、その状況が 過ぎ去ってしまえば、

その統一は 消え去ってしまうだろう。

 

統一とは、状況に左右されてはならないものだ。

それは 内なる世界での 必要だ。

だから、あらゆる 普通の行動の中で、

意識的であろうとしてごらん。

椅子に 座るとき、意識的であろうとしてごらん。

座っている者を 意識していなさい。

椅子だけではなく、その椅子のある部屋だけではなく、

部屋を 取り巻く空気、 そして座っている者をも 意識する。

目を 閉じ、自分を 感じてみる。

深く 自己の内を 掘り下げ、自分を感じるのだ。

 

 

(03)終わり(04)ヘ 続く