(11)
( 彼は よくこう言っていた。
「その後、 何が起こるかブッダでさえ 知らない。 というのも、知るブッダが そこに いないからだ。“これ” を破壊しなさい。
“それ” のことは 聞かないように」)
ブッダが 新しい場所にやって来た。
彼の比丘たちは、次のことを 村中に 知らせるために 出かけていった。
「ブッダが お答えにならない 十一の質問がある。
だから、 どうかその質問は しないでください」と。
その最初は
「 “それ” について 聞かないこと、“これ” のことを聞くこと。
というのも、 “これ” は 答えられる。
“これ” のことを聞けば、ブッダは お答えくださるだろう。が、“それ” のことを聞いてはいけない」というもの だった。
あるスーフィーの神秘家、バヤジットのことを 思い出した。
彼は ある日、“それ” に ついては
何も 言うことはできない、と 言っていた。
ちょうど その話を聞いていた 彼の師(マスター)、彼のグルが 部屋から 出ていった。
彼の師は 文盲で、大変 老いていた −−−
バヤジットは 深い学識のある男だった。
だから 座っていた多くの弟子たちは 思った。
その老人が 部屋から出ていったのは、余りに深い内容の話のために、彼が理解できなかった からだ、 と。
でも、 バヤジットは 師が出ていった まさにその瞬間、話を止め、 師のあとを追い、彼に聞いた。
「何か 間違ったことを したのでしょうか ?
私が 何か間違ったことを 言ったのでしょうか ? 」
すると 師曰く
「そうだ ! “それ” については何も言えない と 言うことさえ、何かを言うことだ。
お前は 何か を 言った −−− 私は それに我慢がならなかった」
チベットの神秘家、マルパに ついての話が ある。
誰かが 彼に、質問をしに やって来た。
「 “それ” について 何か 私に教えてください。 でも 私は 聞いています。
“それ” については 何も言えない。 言葉は 使えない。 言葉は 役に立たない −−−
それなら、言葉を 使わないやり方で “それ” に ついて 何か教えてください」
すると マルパは 言った。
「それでは 教えよう −−− でも、 言葉を使わずに 聞きなさい。
言葉を使わないで “それ” について 何か聞きなさい。
そうすれば、 答えよう」
そこで、質問者は 言った。
「どうして 言葉を使わないで 聞けるでしょう ? 」
すると マルパは
「それは 私の 問題ではなく、あなたの 問題だ。
帰って その答えを 見つけてきなさい !
それは あなたの問題であり、私の ではない。
私の問題は、私が答えた時から 始まる。
だから、まず その答えを 見つけ出しなさい」と 言った。
それは 真剣だった。
それは 冗談ではなかった。
その質問をしに やって来た人は、真剣だった。
彼は 帰って 考え、そして 答えを見い出そうと やってみた。
あらゆる方法で、彼は 瞑想した。
「どうやって 言葉なしで 質問 できるのか ?
実際、マルパは正しい !
もし 言葉を使わないで答えろ と言うのなら、 言葉を 使わずに 質問しなければならない」。
そこで彼は 瞑想し、思いを凝らし
そのことに 思いを 巡らした。
(11)終わり(12)へ 続く