(04)
( 根本的なことは、もしあなたが 自分の責任を 何か他のもの、X、Y、Z に 転嫁しているなら、内側に 入っていけない ということだ )
そして二つ目に 覚えておかねばならないことは、あなたが どんな人間であれ −−− もし性的な人間だとすれば −−− それはあなたの責任だ ということだ。
もし あなたが 怒り、怒りに満ちた人間だとすれば、もしあなたが 何かを 恐れているとすれば、もし恐怖が あなたの 主な性格を形成しているとすれば、それは あなたの責任だ ということ。
ほかの全ては、ひとつの役を演じているのかもしれない。
が、それらは ただの 役だ。
そして その 役 というのも、あなたが協力するからこそ、その役を 演じられるのだ。
だからもし、あなたが まさに この瞬間に協力することを 破壊してしまえば、今までとは違う人間になるだろう。
二番目の 肯定的なことは、自分が どんな人間であれ、自分の責任だ、と絶えず 意識している ということだ。
だが、それは 難しい。
欲求不満を感じるのは とても簡単だ。
自分自身に対して 飽きたらなく感じることでさえ、そう難しくない。
しかし、自分が どんな人間だろうと、自分の責任だ と感じるのは実に難しい −−− とても 難しい。
そうなると、言いわけは できない。
それが 一つ。
二つ目に、もし自分が どんな人間だとしても、それが 自分の責任ならば、自分を 変えなければ、それもまた 自分の責任になる。
もし 自分を変容しなければ、ほかの誰でもない 自分が罪悪感を 感じるだけだ。
そのために、我々は たくさんの理屈を 作り出した −−−
自分自身の責任から 逃れるために。
責任とは、あらゆる 宗教的な変容の根本だ。
あなたは、神を 信ずることが 宗教の根本だと聞いているかもしれない。
が、 そうではない !
人は どんな神をも、信ぜずして 宗教的であり得る。
また、あらゆる 神を 信じていて、まったく宗教的でない、ということもあり得る。
また他の誰かは、再誕、生まれ変わりこそ 宗教の根本という。が、そうではない。
生まれ変わりを 信じることで あなたという存在が生きている 時間が長くなる。
が、ただ、生きている 時間が長くなるだけで
どうして あなたが 宗教的になるだろう ?
時間は あなたを 宗教的にする要因ではない。
あなたは 永遠の存在であるかもしれない。
が、そのことが、どうして あなたを宗教的にする助けに なるだろう ? いや、 そうではない。
すべての宗教の根本、真実は、責任を 感じることだ −−− 今の あなたの存在は、あなた自身に責任があるのだと。
すると突如として、なにかが あなたの中に 開く。
もし自分の責任なら、自分を変えられる。
そういう感覚を持てば、内側へと 入っていける。
自分自身に対して、飽き足らなく 感じるがいい。
ニーチェは どこかで、とてもすばらしいことを 言っている。
「自分自身に飽き足りなさを感じなくなった時、それが人類の破滅の時となるであろう」と。
そういう感覚を持ったら
それ以上に 進化する可能性がないからだ。
が、私なら
「もし誰かが自分自身に飽き足りなさを感じていて、それが自分のせいだと誰も感じなくなった時が、前よりもっとひどい破滅の時となるだろう」と 付け足すに違いない。
そして「飽き足らない」というのは 消極的だ。
それよりも、積極的に 責任を感じることだ。
そうすれば、あなたは たくさんのエネルギーを 得る。
(04)終わり(05)へ 続く