saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「究極の錬金術」翻訳 : スワミ.ボーディ.イシュワラ

「相反するものが互いに補い合う」 (07)

 

(…究極的には、タントラが きわめて深く分け入った、もう一つの可能性がある )

 

タントラ曰く

「あなたが川とともに 流れを下っている時でも、その流れを 遡って行く可能性がある」

その時、あなたの 肉体だけが運びさられる。

どうして川に あなたを運び去ることができる ?

川には、肉体しか 運び去ることはできない。

タントラは、多くの 下降する川を作り出そうと 試みた。

川に飛び込んで、下降する流れを 感じ、ともに流れる。

そしてその時「自分は流れていない」と 

絶えず 想起し続けているのだ。

 

私が言ったのは、セックスと闘うことで、完全にセックスに捕らわれてしまうことが あり得るということだ。

そこには もう一つの可能性がある。

セックスに 深く入っていっても  まったく性的でないことが あり得る。

しかし、その可能性は  あなたが 肯定的になって 初めて開く。

それが、私の言う

「流れに逆らって行く 肯定的な努力」という 意味だ。

それは実際、流れに 逆らっているのではない。

それは 意識のためのものだ。

流れは、ただの 機会として使われている。

ただ 自分を吟味するために、ただ自分を 見い出すために、ただ 上流へ上がって行くことを 感じ取るために、あなたには下降して行くことが 必要だ。

そして、流れが 強ければ強いほど 上昇の 感覚は 強くなる。

 

本能を 一つの機会として 使いなさい。

肉体的な本性を 敵としてではなく 友として使う。

それらは 友だ。

あなたが 無知だから、敵に回しているだけにすぎない。

それらは 友達だ ! 

 

川が下流へと流れる そのピーク、根源に たどり着いた時、人は ただ感謝を感じる。

川への 感謝、川への謝意の気持ち。

川を通って行くことで  彼は 初めて その根源にたどり着けたからだ。

意識の頂に たどり着いた時  人は全ての本能に 感謝を感じる −−− 

それらは みな、役立ってくれたからだ。

それらは みな、状況を作ってくれた。

それらは みな、機会を作ってくれた。

それらは 反対の方向へと 流れていた。

反対の流れは、本当は あなたに 逆らっているのではない。

川は あなたに 逆らっていない。

あなたが川に 逆らうことは あり得る。

そして、もし 川に逆らえば  決して川を 打ち負かすことはできないだろう。

それよりも、倒錯を起こしてしまう可能性のほうが大だ。

だから 本能を越えるために、本能を 使いなさい。

 

 

(07)終わり(08)へ 続く