saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「究極の錬金術」翻訳 : スワミ.ボーディ.イシュワラ

相反するものが互いに補い合う」 (08)

 

自分の中に 怒りがあることが わかったら、直接 怒りと 闘ってはいけない。

自分自身を よく吟味しなさい。

エネルギーを 感じ、その怒りを越える。

怒りは そこにある。

静かなままで いなさい。

そしてその怒りを感じ、自分自身を感じ、自分自身をよく吟味しなさい −−− 上方へと 流れ始めなさい。

それを 遊びとして 捉えるのだ。

深刻に なっては いけない ! 

深刻さは 一種の病気だ。

もしあなたが、全ての物事を 否定的に捉えれば  深刻になる。

そうしたら、あらゆることが あなたを かき乱す。

「どうして怒りが あるのだろう ?  どうして 貪欲が 存在するのだろう ?

どうして こうなのか ?  どうして ああなのか ?」

ありと あらゆることが あなたを かき乱し、深刻になる。

そして、我々の いわゆる聖者達は とても深刻だ。

 

実のところ、私には どうして聖者達が 深刻であり得るのか考えられない。

彼は ただ、遊び心に あふれるしかないはずだ。

彼らの深刻さは、彼が 闘い続けてきたことを 示している。

兵隊なら無論、深刻であって当然だ。

だが、聖者は 深刻である必要はないし、また そうであってはならない。

実際、深刻さは、彼が 聖者ではないことを 示している。

聖者は 遊び心に あふれているはずだ。

なぜなら、彼に 反対するものは 何もないからだ。

あらゆる物事が 彼の味方だ。

彼は 自分のために、全ての物事を 使うことができる。

私が「流れに逆らっていく努力」と 言うのは、流れに逆らって 戯れる、という意味だ −−− 戯れなさい ! 

やってみなさい ! 

自分に できることを見てみなさい。

 

流れは下流へと 流れている。

なのに、どうして 上流へ遡って行けるだろう ? 

怒りは そこに ある。

誰かが あなたを侮辱したとする。

ボタンが 押された。

あなたは 怒らないでいられるかね ? 

ただ 戯れなさい。

 

その 状況と ともに 戯れなさい。

深刻に ならないこと。

深刻に なった瞬間、あなたは 本当に怒る。

 

怒り というのは 実に 深刻だ。

 

遊び心を 持ちなさい、笑いなさい。

怒りのスイッチが 押されたのを 見ていなさい。

条件付けられたマインドに スイッチが入ったのを 見ていなさい。

 

怒りは 煮えくり返っている。

その時、そこで 流れに逆らって泳ぐのだ。

それを 遊び心として 捉える。

 

誰かが あなたを侮辱した瞬間

それが できるかどうか、見ていなさい。

 

 

(08)終わり(09)へ 続く