saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第5話 ーーー 〈無〉の香り (20)

…( もしそれが 可能でないとすると
そのときも とにかく,人は “特別な誰か” に なりたい )

大勢の殺人犯たちが 法廷で
自分が 誰かを殺したのは
その人を殺すことに興味があったからではなく
ただ自分の名前を 新聞の第一面に 出したかったからにすぎないと 告白している


ある男が誰かを 背後から殺した
グサリと ひと突きだった
それも,彼は それまでその相手を 見たこともなかった
まったくの 赤の他人だったのだ
彼らは 顔見知りじゃなかった
友情もなければ,敵対関係もなかった
彼は 一度も被害者の その男に会ったこともなかった
そして,このときもまた
彼は自分が殺した男の 顔を 見ていないのだ
彼は その人を見もしなかった
ただただ 背後から殺したのだ
その人は 浜辺に坐って 波を見ていた
そこへ,この男がやって来て 彼の命を奪ったのだ


さすがの法廷も どうしていいか わからなかった
とにかくこの男は言う
「私は私が殺した相手そのものには 何の興味もありませんでした
そんなことは関係なかったのです
誰でもよかったのです
私はとにかく 誰かを殺しに そこへ行ったのですから
もしこの人が そこにいなかったとしたら
そのときには ほかの誰でもよかったのです」
だが,どうして ? ーーー

それを彼は こう言う
「なぜならば
私は 自分の写真と名前を 新聞の第一面に 出したかったからです
私の欲望は 満たされました
私のことは 全国の語り草になりました
もう死んでもいい
もし死刑を宣告なさるのなら
私は 喜んで死ねます
私は 知れ渡りました
私は 有名になりました」


もし 名声を博せないとなると
あなたは 悪名高く なろうとする
もし マハトマ・ガンディーに なれないとなると
あなたは アドルフ・ヒトラーに なりたがる

だが,とにかく誰ひとりとして “ 名もない誰か (nobody) ” で いたくはない


これらが
それを通して 自我(エゴ) という幻想が強まってゆく 七つの扉だ
次第次第に 強くなってゆく

そしてこれらが
もし あなたが理解すれば
それを通じて 自我(エゴ)が 送り出されるべき 扉でもある
ゆっくりゆっくりと
それぞれの扉から あなたは深く自分の 自我(エゴ)を のぞき込み

そして,それに さようならを 言わなければならない
そうして〈無〉が 現われる


経文 ーーー
“ それゆえに,おおシャーリプトラよ,空(くう)において,そこにはいかなる形象もなく,感覚もなく,知覚もなく,衝動もなく,意識もない。眼も,耳も,鼻も,舌も,体も心もない。形もなく,音もなく,匂いもなく,味もなく,触れられるものも,心の対象もない。視覚組織の領域から心意識の領域に至るまでことごとく何もない。そこにはいかなる無知もなければ無知の消滅もなく,衰弱や死から,衰弱や死の消滅に至るまでことごとく何もない。そこにはいかなる苦しみも,苦しみの原因も,苦しみの停止も,苦しみをなくす道もない。いかなる認識もなければ,いかなる達成も無達成もない。 ”


途方もなく 革命的な声明だ


“ それゆえに,おおシャーリプトラよ・・・ ”


第一に 我々は
“ それゆえに ” という言葉を理解しなければならない



(20)終わり・・・(21)へ 続く