saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第九章 超越するものと一体になる (05)

f:id:saleem:20220404164821j:plain

不幸がなくなれば、 かならず幸福が残る。
そうなる他は ない。

わけもなく、理由もなく、ただ 幸福になる。

だが、 聖人は幸福ではない。
聖人は とても悲しい。
聖人は 生きていない、死んでいる。

何が起こったのか、どんな災難が、どんな 呪いが ?

踏み違えたのだ。
愛は 捨てなくてはならない、捨てれば 不幸がなくなる と考え、愛を 捨てた。
だが、 不幸は 愛のせいではなかった。
所有欲のせいだった。

所有欲を 落としなさい。
実際に、 所有欲に向けられたエネルギーを、 愛の方へ 振り向けてみなさい。
しかし、何かを押しつけてできるものではない。
明瞭さが、明瞭なヴィジョンが 必要になる。

そこで まず最初に、霊性とは 徳の実践ではなく 新たなヴィジョンを得ることだ、と言っておきたい。
徳は そのヴィジョンについてくる。
徳は ひとりでに現れる。
それは、自然に生じる 副産物だ。
あなたが理解しだせば、物事も変わり始める。


生には 三つのものがある。

一つは 客体的世界、物の世界だ。
それは 誰にでも見える。
客体は 見えて当たり前だが、それは旅の始まりに過ぎない。

多数の人が そこで立ち止まり、家に着いたと思っている。
もちろん着いてなどいない。

だから、彼らは 不幸なのだ。

客体を越えたところに、別の世界、 主体的世界が開ける。

客体は 物、対象物の世界であり、科学の、数学、物理学、化学の世界だ。
私たちは当然、客体が完璧に見えるように 生まれて来る。
したがって、客体というのは 非常に 明瞭だ。


主体は 探検されなくてはならない。
主体のヴィジョンを携えて 生まれる者は いない。
主体を 探検し、それが何であるのか 学ばねばならない。
やがて、主体を味わい、それに入っていくべきときが 来る。

音楽、詩、芸術、 創造的なものは皆、主体の世界に属する。
内に向かいだした人は、より詩的に、より芸術的になり、違った香り、違ったオーラを漂わせる。


科学者は 物に生き、 詩人は 人に生きる。
科学者は、自分が誰だか 少しも気づいていない。

自分を取り巻いているもの しか、気づいていない。
月や 火星、極めて遠くの星のことは 知り得ても、内面は 忘却の彼方にある。
実際、遠くのものに 関われば 関わるほど、自分のことは 忘れがちになる。

自分に対しては、 目を閉じているも同然だ。


(05)終わり・・・(06)へ 続く