saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第九章 超越するものと一体になる (06)

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実際、遠くのものに 関われば 関わるほど、自分のことは 忘れがちになる。
自分に対しては、目を閉じているも同然だ。


詩人、画家、舞踏家、音楽家、彼らは もっと家の近くにいる。

主体の世界に住み、自分が人であることを 知っている。
人である と 知った途端、他人のことも覗けるようになる。
詩人にとっては 木でさえ、動物でさえ 人だ。

科学者にとっては、男性であれ女性であれ、物に 過ぎない。
科学者は、人も まるで物であるかのように 眺める。
自分の内面にも 気づいていないのに、他人の内面に 気づくことなどあり得るだろうか。

私は「人」という言葉を 使っているが、言いたいのは、外から観察したり 分析や解剖してもわからない 内部 というものがあるということだ。
岩が ある、しかしそれには 内部がない。
岩を壊して、すべてを見ることができる。
岩を壊しても 問題はない、ばらばらになったとしても同じ 岩だ。
だが 人を殺せば、とてつもなく 価値あるものが たちまちのうちに消えていく。

さて、あなたは 死体とともにいる。
が、死体は 人ではない。
壊された岩は 依然として同じ岩だが、殺された人は 人ではない。

外科医の解剖台に乗ったら、あなたは 人でなくなる。
詩人が あなたに触れ、手を握るときだけ、あなたは 人になる。


それで、人々は 愛を渇望する。
愛を渇望する理由は これ以外にない。
あなたは、自分を 物としてではなく、人として見てほしい。



(06)終わり・・・(07)へ 続く