saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第九章 超越するものと一体になる (03)

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不幸を生むのは 所有欲だ。

愛する人を、 友人を、 子供を 所有しようとすれば 不幸になる。

そしてあなたが 不幸なときは、例の宗教的な人々が、曲がり角で 待ち構えている。
あなたに飛びつき、「前に 言った通りでしょう。 愛しては いけません。
そうでないと、困ったことになりますよ。
愛に関わるすべてのことから身を引くのです、世の中から離れるのです」と言う。
そうなったのを すでに見ているから、あなたは当然、その言葉に惹きつけられる。
彼らが正しいことは すでに「体験済み」だ。
しかし それでも、彼らは正しくないし、あなたも 体験してはいない。

あなたは 起こった出来事を 詳しく検討していない。

あなたを不幸にしたのは 愛ではないのに、そのことを詳しく検討していない。
不幸にしたのは 所有欲だ。
愛ではなく、 所有欲を 落とさねば ならない。


愛を捨てれば 当然、不幸も なくなる。
というのは、愛を捨てれば、 同時に 所有欲も 捨てることになるからだ。

それは 自動的に落ちる。
不幸では なくなるが、幸せには なれない。
聖人たちのところへ 見にいけばいい。
聖人たちが、私の 言っていることの 正しさを証明するだろう。

彼らは けっして幸福ではない。

聖人たちが 不幸でないのは 本当だ。
しかし、幸福でもない。

では、大事なことは 何だろうか。

不幸が なくなっても 幸福にならないのは、 何かが 間違っているからだ。
間違っていなければ、幸福になるのが当たり前だ。

あなたは「蝋燭(ろうそく)をつけたのに、まだ闇が そこにある」と言う。

あなたが 自分を欺いているか、 蝋燭の夢や 幻覚を見ているかの どちらかだ。
そうでなければ、闇なんて あるはずがない。
蝋燭が燃えているのに、まだ そこに 闇があるだって ?

いや、 闇があるのは 光がまだ 入って来ていない という、紛れもない 確かな証拠だ。


不幸がなくなれば、たちまち幸福になる。
幸福とは 何だろうか ーー 不幸が ないことだ。

健康とは 何だろうか ーー 病気がないことだ。



(03)終わり・・・(04)へ 続く