saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第八章 「残るのは知るものだけ」 最初の質問 (03)

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私は、いかなる宗教にも属さない。
だから 聖職者ではない。
私は 宗教 それ自体に属しているだけだ。
私は ユダヤ人でも、ヒンドゥー教徒でも、イスラム教徒でも、ジャイナ教徒でもない。
私は いかなる宗教にも属さない。
だから 聖職者ではない、伝道師ではない。
私は ただ、純粋な宗教を愛する。


小話を 一つ。

ゴールドバーグ夫妻は、長男を大学に通わせるため、生活を切り詰め 貯金をした。
ついにお金がたまり、東部の優秀な寄宿学校に息子を送ることにした。
夫妻は電車に乗る息子を 見送り、涙ながらに 別れの挨拶をした。

二、 三ヶ月後、彼はクリスマスの休みで 家に戻った。
両親は息子のサミーが戻って来て、とても喜んだ。
母親は「サメラー、会えて嬉しいわ」と言って 出迎えた。
「お母さん、サメラーって呼ぶのは よしてよ。 もう僕は大人なんだから。
サムエルって呼んでほしいな」と 息子は答えた。

母親は謝った。
そして、「向こうにいたときは、コウシャー (ユダヤ教の神聖な食べ物)だけ食べていたのかい」と 尋ねた。
「お母さん、僕たち、現代的なところに住んでいるんだよ。
古いしきたりに しがみつくのは馬鹿げている。
コウシャーも それ以外のものも何でも食べてるさ。
お母さんも そうしたら。 嘘は言わない、そのほうがいい」と言った。

「ねぇ、言いなさい。
たまには 感謝の祈りをしに シナゴーグに行ったのかい。
せめてそれくらいのことはしてたんだろうね」

息子は答えた、「冗談でしょう ? ユダヤ人以外の人との 付き合いが多いのに、それでもシナゴーグへ行くのが正しいって、本気で思ってるの ?
正直、僕にそうしろというのは間違いだよ、お母さん」

そのとき、ゴールドバーグ婦人は 怒りをこらえて 長男を見つめ、「サムエル、言いなさい。 お前、いまでも割礼されるのかい ?」と言った。


あなたが割礼をされていようがいまいが、興味はない。
あなたがユダヤ教徒だろうが、ヒンドゥー教徒だろうが、キリスト教徒だろうが、イスラム教徒だろうが、興味は ない。
私にとっては、まったくばかばかしいものばかりだ。
私は いかなる宗教も教えていない。
私がここで努力し 役を演じているのは、すべて、あなたに あるがままの現実を気づかせるため、幻想を与えるのではなく 事実を気づかせるため、理論を与えるのではなく 真理に目覚めさせるためだ。

私は理論家ではない、神学者ではない。
実際、神学は 神を葬ってきたし、非常に多くの宗教が 人心に混乱を もたらし、人々を 助けるというよりむしろ害し 毒してきた。
人々が 宗教的になるために 力を貸すというより、むしろ宗教の名を借りて すさまじい政治を行ってきた。
宗教の名において、すさまじい暴力が、戦いが、憎しみが生み出されてきた。

私にとって 宗教とは、要するに愛の次元のことだ。
私は あなたに生の美しさ、あなたを取り巻く壮麗なものを教えるために ここにいる。
まさにその壮麗なものによって、あなたは はじめて、神々しさを垣間見るだろう。

私は、あなたを 生の愛へ誘惑しようとしてここにいる。
あなたが もう少し詩的になるように、あなたの頭が ハートの中に埋没するように、ありふれたものや 世俗的なものに関心がなくなり、尋常ならぬものが あなたの生の中で 爆発するように、その手助けをしようと ここにいる。
だがこれは、弟子になる決心を しなければ できることではない。

サニヤスは、大いなる同意であり誓約だ。
サニヤスに導くとき、私は あなたを 私の遊びの世界に導いている。
私とともに行く用意が できているなら、すばらしい扉が あなたに開けられるのを待っているだろう。
だが それらは、モスクや教会やグルドゥワラや 寺院の扉ではなく、生自身の扉だ。
生こそ 神の唯一の社(やしろ)であり、遊び心こそ 唯一の祈りだ。

「あなたは誰なのですか。 あなたは私たちと何の遊びをしているのですか。 また、どれくらいの間するつもりですか」。
時間の問題ではない。
あなたが弟子になる 決意をすれば、それがずっと 続くこともある ーー 肉体の 内と外で、マインドが あるときとないとき、生きているときと死んでいるとき、生の 内と外で。
これは 永遠のゲームだ。
だから私は、究極のゲームと呼ぶ。
キリストと遊ぶと決めた者たちは、いまだに遊んでいる。
新たな場面で、これまでにない充実した場面で、ゲームは 続けられている。
仏陀と遊ぶと決めた者たちは、いまだに遊んでいる。
そのゲームは とても素晴らしく、いつまでも続く。
終わりにしたがる者など、いるだろうか。


私は ここに、肉体にいなくなるかもしれない。
だがそれは、私の近くにいない人たち、私と一緒にいる勇気のない人たちにとっていなくなる、ということに過ぎない。
私が 肉体を離れても、あなたが 本当の弟子なら 私が いなくなることはない。
ゲームは続く。
私は手の届くところにいる、あなたも手の届くところにいる。
それは ハートの、意識の問題だ。
意識は 時間のない状態を 知っている、意識は時間を 超えている、意識に 時間は ない。

部外者からの質問には意味がある。
だが、それでも私は 答えない。
内部の者からの質問には意味がない。
意味がないときに限り、私は 答えることができる。
あなたが 内部の者なら、このゲームには 始まりがあっても 終わりがないのを 知らなければならない。
あなたは、永遠に続くものの中に入った。



(03)終わり・・・(04)へ 続く