saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第二章 失うものは何もない 最後の質問

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最後の質問

愛する和尚、

私は、山中の岩の欠片(かけら)です。

私には、それすら認める勇気がありません。
認めるどころか、夢を見ています。

和尚、なぜ私に、川や海や 空のことを話して下さったのですか。
どうして私などに、サニヤスを下さったのですか。
私は、山中の岩の欠片なのです。



誰もが皆、岩の欠片だ。
究極の栄光を 手にしない限り、岩の欠片でいるしかない。
だが、岩の欠片であることは、悪いことではない。

岩の欠片は、ぐっすり眠って、いびきをかいている 神以外の 何ものでもない。
それは 眠れる神だ。
岩の欠片に、悪いところはない。
が、目覚めなければならない。
だから、あなたにサニヤスを与えた。

あなたは、「どうして私などに、サニヤスを下さったのですか」と 尋ねている。

サニヤスとは、あくまでも あなたを目覚めさせようとする、あなたを揺り動かそうとする、あなたを はっと 気づかせようとする努力だ。
サニヤスとは、まさしく目覚まし時計だ。

「それすら」ーーあなたが山中の岩の欠片であるということーー「認める勇気がありません。 認めるどころか 夢を見ています」。
そうやって、夢を見て、岩は自分の 成長を避ける、自分の未来を避ける。
夢見は、障害だ。
夢を見て私たちは、現実を避ける、真実を 避ける。
それが私たちの 逃げ方、他にはない。
夢見、これが 唯一の逃げ道だ。

私の話を 聞いているときでも、あなたは夢を見ている。
ここに座っているときでも、あなたのマインドの中で、千と一つの思いが 駆けずり回っている。
過去と未来に 思いを馳せたり、私の言うことに 賛成したり反対したり、自分の中で議論したり。
だが、あなたは私から 離れている。
私は 事実として ここにいる。
ここで夢を見る 必要はない、あなたは ここで、私とともにいられる。
その成果は、計り知れないものとなるだろう。

だが、私たちは 夢を見続ける。
人々は夢想家であり、夢想するのが その生き方だ。
女性と 愛を交わすとき、人々は夢を見ている。
食べているときも、夢を見ている。
道を歩いているときも ーー散歩に出かける、陽が昇った、すばらしい天気だ、皆が起き出す、生が再び戻って来る ーー人々は 夢を見ている。
何も見ていない。

私たちは 夢を見続ける。
夢見は 目隠しとなる。
私たちは 現実を見ずにいる。


「和尚、なぜ私に、川や海や 空のことを話して下さったのですか」。
なぜなら、それがあなたの 可能性だからだ。
岩は 飛ぶことができる、羽を生やすことができる。
私自身、かつては 岩だった。
それから羽が生えだした。
だから、私は知っている。
あなたは 知らないかもしれないが、私は あなたの可能性を知っている。
だから、川や海や 空のことを話したのだ。

岩は花になり得る、川になり得る、海になり得る、空になり得る。
あなたの可能性は 無限だ !
それは神の可能性に等しい。
あなたには 多種多様の可能性がある。

だから、私は 川や海や 空のことを語り続ける。
いつの日か、大きな渇きが あなたを包み込むだろう。
今までにない、不可能なものに対する情熱が沸きあがり、あなたは空へ舞い上がっていくだろう。
空は あなたのもの、自分のものだと言いなさい !
あなたは岩のように見えるだけ。
岩もまた岩のように見えるだけ。
岩が ちょっと努力すれば、ちょっと自分を揺さぶれば、翼がそこに隠れているのがわかるだろう。
無限の可能性が、次々と 開いていくのがわかるだろう。

だが、夢見は 障害になる。
岩であることが 問題なのではなく、夢の中に居すぎることが問題なのだ。
夢を 落とし始めなさい。
夢は 不毛で無意味、浪費以外の何ものでもない。

だが人々は、いつまでも夢を 見続ける。
そして、だんだん、夢見を 唯一の生と思うようになっていく。
生は 夢ではない、夢を見ることが 生ではない。
夢を見るのは、生を 避けているということだ。


あなたに、ちょっとした話を 一つ。

七十五歳の誕生日に、タートルトーブは医者に駆け込んだ。
そして、「先生、今晩、二十二の女の子とデートするんです。
何か元気の出る薬、もらえませんかな 」と大きな声で言った。

医者は親しみを込めて微笑み、老人に薬を与えた。
その夜の遅く、好奇心から、医者は年老いた患者に電話した。
「薬は役に立ちましたか」

「すばらしい」「もう七回ですわ」とタートルトーブは答えた。

「それは凄い」と医者は納得するように言った。 「で、女の子は どうでした ?」

「女の子 ?」タートルトーブは答えた、「まだ来てませんよ」。


夢を見続けるのは やめにしなさい。
さもなければ 女の子を取り逃がす、生を取り逃がす。
夢見をやめて、存在するものを見なさい。
それは すでにあなたの前にある。
すでに、周りに、内と外にある。
夢を見ていなければ、存在するのは神だけだ。
見ていれば、夢に内側を占拠される。
夢が 邪魔になって、神は入れない。
私たちは この夢見を マーヤと呼ぶ。
マーヤとは マジックショー、夢の展覧会のことだ。

夢を見ていなければ、夢のない状態にあれば、真実は明かされる。

真実は すでにそこにあるのだが、あなたは そこに行けずにいる。
たった 一つのこと、夢を脇に置きさえすればいい。
そうしたら、もうあなたは 岩ではない、私と一緒に 空の果てまで 飛んで行ける。

私の招待を 受けなさい、私の挑戦を 受けなさい。
それが サニヤスのすべてだ。


今日は これくらいにしよう。



( 「第三章 綱渡り」 へ 続く )