saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「死の アート」第三章 綱渡り (01)

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第三章 綱渡り

ハシディズムの人々が、一緒に仲良く座っていた
パイプを手にしたラビのイスラエルが、仲間に加わった
人々は、とても親しみやすいイスラエルに質問した
「先生、神に仕えるにはどうしたら良いか教えてください」


イスラエルはその質問に驚き
「私にわかるものですか」と答えた
だが、そのあと、こんな話を続けた


王様に、二人の友人がいた
しかし、二人とも罪を犯したことが判明した
二人を寵愛していた王様は、慈悲を与えたいと思ったが
無罪にはできなかった
王の言葉をもってしても、法を曲げることはできないからだ
そこで、王様はこのような裁断を下した


深い谷の両側を結んで綱が張られる
両名は、一人ずつ、その上を歩いて渡らねばならない
谷の反対側まで辿り着いた者は、命が救われる


それは王の命として施行された
二人のうち、最初の一人が無事に渡り終えた
もう一人は、未だ同じ所に立っていた
そして、渡り終えた友人に向かって叫んだ
「教えてくれ。どうやって渡ったんだ ?」


最初の者が、呼びかけに答えた
「わからないけど、
一方に倒れそうになったら、その都度反対側に身を反(そ)らしたんだ」



存在は 逆説的だ。
逆説こそ 存在の 核心。
存在は、対立物を媒介にして存立している。
それは、対立物のバランスだ。
バランスの 取り方を学ぶ者は、生、存在、神の何たるかを知るようになる。
その 秘密の鍵は、バランスだ。

この話に入る前に、二、 三。
まず、私たちは、直線的で 一次元的な アリストテレスの論理に慣らされている ということ。
生は、断じて アリストテレス主義者ではない。
生は ヘーゲル主義者だ。
その論理は直線的ではなく、弁証法的だ。
まさしく 生の歩みは 弁証法、対立物の出合い、対立物同士の闘いと出合いだ。
生は弁証法的 過程を歩む。
定立(テーゼ)から 反定立(アンチテーゼ)、反定立から総合(ジンテーゼ)へ。
そして再び 総合は定立に転化する。
すべての過程が 再び始まる。

アリストテレスが正しかったら、男性だけで 女性がいないか、女性だけで 男性がいないかの どちらかになる。
世界が アリストテレスに基づいて造られたとすれば、光だけで闇がないか、闇だけで光がないかの どちらかになる。
論理的と言えば 論理的だ。
生と死の どちらかしかなく、両方あることはない。

だが、生は アリストテレスの論理に基づいていない、生は 両方だ。
両方、対立物 ーー男性と女性、陰と陽、昼と夜、誕生と死、愛と憎しみがあって はじめて、生は成り立つ。
生は 両方でできている。

何よりも まずそのことを、心の奥にまで 染み込ませておかねばならない。
というのも、アリストテレスが 皆の頭の中に いるからだ。
最先端の科学では、アリストテレスは 時代遅れになり、応用されることもなくなったというのに、教育の世界では、ことごとくアリストテレスが信奉されている。
科学は 存在に近づき、アリストテレスを超えてしまった。
今日、科学は、生が弁証法的で論理的ではないことを理解している。



聞いた話だ。

ノアの箱舟では、航海中、セックスが禁止されていた ーー知ってるかな ?

洪水が終わり、つがいが箱船から ぞろぞろと出ていくところを、ノアは見ていた。
最後に雄猫と雌猫が、とても小さな子猫を 数匹引き連れて出てきた。
ノアが 訝しげに眉をひそめると、雄猫が ノアにこう言った。
「僕たちが、喧嘩していたと思ってるでしょ !」


ノアは アリストテレス主義者だったに違いない。
雄猫の方が 良くわかっていた。

愛は 一種の闘いだ。
闘いなしに、愛は あり得ない。
それらは相反するように見える。
恋人たちは 喧嘩してはいけない、と 私たちが 考えるからだ。
そう考えるのは 論理的だ。
愛していたら 喧嘩などできるだろうか。
知性にとって、恋人たちが喧嘩してはいけない、というのは絶対的に明らかで確かなことだ。
だが、喧嘩をする。

実を言えば、彼らは 親しい敵同士であり、絶えず闘っている。
まさにその闘いの中で、愛と呼ばれるエネルギーが 開放される。
愛は闘いだけではない、闘争だけではない、というのは本当だ。
愛は それ以上のものだ。
だが、闘いでもある。
けれども、愛は 乗り越える。
闘いは 愛を壊せない。
愛は闘いを 乗り越える。
だが、闘いなしには 存在し得ない。

生を 覗いて見なさい。
生は アリストテレス主義者でも ユークリッド主義者でもない。
自分の考えを 押しつけず、ただ ありのままに見るならば、対立物が補い合っているのがわかって、びっくりするだろう。
対立物間の緊張は、生を成り立たせる根幹だ。
それがなければ、生は失われる。
死 のない世界を想像してごらん。
「そうなったら、生は永遠になる」と あなたのマインドは 言うかもしれない。
だが、あなたは 間違っている。
死が なければ、生は 消え失せる、死がなくては存在できない。
死は生に、存立の基盤、色合いと豊かさ、情熱と激しさを与える。


だから、死は 生に反しない。
死は生に含まれる ーーここが 一番大事なところ。
もし、正しく生きたかったら、正しい死に方を学ばなくてはならない。



(01) 終わり・・・(02)へ 続く~