saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第七章 「宝もの The treasure 」 (13)

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ラビのブナムは こう言い足すのだった
「この話を心に刻み、我がものとしなさい
この世のどこでも、ツァディックのところでも探せないものがある
だがそれでも、探せるところがあるのだ」



「ツァディック」は マスターを表す。
ツァディックという言葉は、純粋、最も純粋なもの、純粋そのものを意味するヘブライ語に由来する。
ツァディックは、「現在」に達した、もはや過去にも 未来にもおらず、まさに「今ここ」「現在」にいる マスター、現存そのものと化したマスター という意味だ。
マスターと ともにあることは、現在という現存の中にいることに他ならない。
また、マスターとともにあることは、あなたが 現在にいるための助けとなる。
マスターの存在が 影響を及ぼせるようになるからだ。

だがラビのブナムは 言う、「この世のどこでも、ツァディックのところでも探せないものがある」。
ブナムは、どこでも、マスターとともにいても 探せないものがある と言う。
しかし、希望を失ってはいけない ーー「だが それでも、探せるところがある」

その場所とは あなた、その時間とは 今だ。
実のところ、ツァディック、マスターは、あなたを 現在の中に投げ込もうと 努力しているに過ぎない、あなたに 神が手に入るよう、神にあなたが手に入るよう 努力しているに過ぎない。

この「現在」は 教えられないが、サットサングの真価によって、ツァディック、マスター、グルと ともにあることの真価によって 掴み得る。



(13)終わり・・・(14)へ 続く