saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第七章 「宝もの The treasure 」 (12)

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望みは 過去から生まれる以外になく、かつ 未来に託す以外にない。
だが、 両者とも 実在しない。
実在するのは 現在だ。
この瞬間こそ、 唯一 存在するもの。
この瞬間に対して 望みは抱けない。
この瞬間にいて、 それを 楽しむことしか できない。


私は、今 現在 不幸であるという人に、出会ったことがない。

人々は何度も 私のところに来て、とても不幸だ、ああだ、こうだと言う。
私は 彼らに、「目を閉じて、たった今、あなたが不幸かどうか 確かめてみなさい」と言う。
彼らは 目を閉じ、それから 目を開けて、「今現在、不幸ではありません」と 言う。

今現在において 不幸な人は、一人もいない。
それは あり得ない。
元来、不幸には なれないようにできているのだ。
まさに この瞬間、あなたは 不幸だろうか。
まさに この瞬間に ?

少し前は 不幸だった。
そう、その通り。
あるいは 少しあとに 不幸になるかもしれない。
それもまた、あり得る。
だが この瞬間、二つの 存在しない時間のあいだで、あなたは 不幸だろうか。
誰も 不幸であったためしはない。

この瞬間は、常に祝祭そのものだ。
この瞬間は 常に喜び、途方もない歓喜だ。
この瞬間は 神の時間だ。
過去は あなたのもの、未来は あなたのもの、現在は 神のものだ。

私たちは時間を、過去、現在、未来の 三つの時制に分ける。
その分け方は 正しくない。
そんなふうに 分けるべきではない。
その区分は 正しくない。
時間は 過去と 未来とに分けられる。
だが、 現在は 時間の 一部ではない。
それは 永遠の 一部だ。
覚えておきなさい ーー 神に 過去はない、「神が いた」とは 言い得ない。
神に 未来はない、「神が 現れるだろう」とは言い得ない。
神には 一つの時制、現在しかない。
神は いる、常に いる。
実のところ、神は 存在の「存在性」の別名に 他ならない。
その瞬間、この「存在性」の中に いるたびに、あなたは幸福になり 祝福される。
祈りが 生まれる。
あなたは 聖堂となる。
あなたは エイシクのシュルと なるべきだ。
祈りの家と なるべきだ。



(12)終わり・・・(13)へ 続く