saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第七章 「宝もの The treasure 」 (01)

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ラビのブナムは、自分のところに初めて来た若者たちに
ラビのエイシク ーー クラクフのラビ、イエケルの息子の話をするのだった

長年に亘るひどい困窮も
エイシクの神に対する信頼を揺るがすことはなかった
彼は夢を見た
何者かが、プラハの王宮に通じる橋の下にある宝物を探せと命ずる夢だ
三度その夢を見たとき、エイシクはプラハに出かけた
しかし、橋は昼夜見張られていたので、掘り始めようとはしなかった
それでも毎朝橋に行き、夕方まで辺りをうろうろしていた
とうとう、その様子を見ていた守衛の頭が
エイシクに、何か探し物をしているのか
それとも誰か人を待っているのかと優しく尋ねた
ラビのエイシクは、遠路はるばる、ここまで来ることになった夢の話をした
頭は笑った、「では、その夢を叶えるため
靴をすり減らしてここまでやって来たというのですか ! お気の毒に
夢を信じるにしても
もし私がその夢を見たのであれば、クラクフに行って
イエケルの息子であるユダヤ人、エイシクの部屋の
ストーブの下にある宝物を掘っただろう
それが、その夢のお告げだ
しかし、それがどんなものか考えてみたまえ
クラクフでは、ユダヤ人の半分がエイシクという名で、あとの半分がイエケルだ」
と言って再び笑った
ラビのエイシクはお辞儀をし、家に向かった
そして、自分の家の、ストーブの下から宝物を掘り出し
エイシクのシュルという名の、祈りの家を建てた


ラビのブナムはこう言い足すのだった
「この話を心に刻み、我がものとしなさい
この世のどこでも、ツァディック(マスター)のところでも探せないものがある
だがそれでも、探せるところがあるのだ」



生は探求だ。
絶え間のない、闇雲で、見込みのない探求、求めているものもわからない探求だ。
人間には 探し求めようとする 強い衝動がある、だが何を求めているのかわからない。

また、マインドには 何を手に入れようと、少しも満足しないという性質がある。
欲求不満が 人間の宿命らしい。
というのは、何を手に入れても 手に入れた瞬間、意味がなくなるからだ。
あなたは 再び探し求める。

手に入れようが入れまいが 探求は続く。
持っている、いないは 関係ないようだ。
とにかく探求は続く。
貧乏人は求める、金持ちは求める、病人は求める、健康な人は求める、強者は求める、弱者は求める、愚者は求める、賢者は求める。
だが、 何を求めているのか正確に知る者はいない。

まさに この探求こそ、理解されなければならない ーー それは何であるのか、なぜ求めるのか。
人間には隙間が、人間のマインドには 隙間があるらしい。
人間の 意識構造そのものに 穴が、ブラックホールがあるらしい。
あなたは そこに ものを投げ続け、ものは消え続ける。
それを満たすもの、満たすに役立つものなど ないように思える。
それは高い熱にうかされた 探求だ。
あなたは それを この世に求める、あの世に求める。
ときには お金、権力、名声に、 ときには 神、至福、愛、瞑想、祈りに 求める。
だが探求は 続く。
人間は 探求という病に冒されているようだ。

求めれば、今ここ に いられなくなる。
なぜなら、求めれば どこか他のところへ連れて行かれるからだ。
探求は 企(くわだ)て、欲望であり、別の場所が必要とされる。
求めるものは 存在するが、あなたのいる ここにはなく、どこか他のところに ある。
存在するのは「そのときそこ」に であって、断じて「今ここ」に ではない。
それは絶えず あなたを悩ませ、引っ張り、押しつけ、さらなる狂気へと 投げ込む。
あなたを 狂わせるが、けっして成就することがない。


非常に偉大な スーフィーの女性神秘家、ラビア・アル・アダビヤの 話を聞いたことがある。

ある夕方のこと、人々は ラビアが道にしゃがんで 捜し物をしているのを見かけた。
年を取り 目が弱っているので、捜すのは大変だ。
それで 隣人たちは、ラビアを助けようと 彼女に近づき、「何を捜しているのですか」と 尋ねた。
「的はずれな質問だね、私は捜し物をしているんだよ。 手伝えるなら手伝っておくれ」と ラビアは答えた。

隣人たちは 笑い、「ラビア、気でも狂ったのですか。 的はずれな質問だなんて。 何を捜しているか わからなかったら、手伝いようがないじゃないですか」と 言った。

「いいでしょう、あなたたちの気がすむのなら。 針を捜しているんだよ。
針を失くしてしまったのでね」と ラビアは言った。

隣人たちは 手伝い始めたが、すぐに、道は きわめて広く、針は きわめて小さいことに 気がついた。
そこで、「どこで失くしたのか、失くした場所を正確に教えてください。 そうでないと捜すのは大変です。 道は広いから、いつまでも捜し続けることになりかねませんよ。 どこで失くしたのですか」と ラビアに聞いた。

ラビアは言った、「また 的はずれな質問をしたね。 それと捜し物と、どんな関係があるというのかね」

彼らは捜すのをやめ、「本当に狂ってしまった !」と言った。
ラビアは言った、「いいでしょう、あなたたちの気がすむのなら。 針は 家の中で失くしたのです」

彼らは笑い、「それじゃ、どうして ここで捜しているのです ?」と尋ねた。

ラビアは、「ここには明かりがあるが、家の中にはないからね」と答えたと伝えられている。

日は 沈もうとしていたが、道は まだ少し明るかった。


この逸話は 非常に意義深い。
あなたは、何を探しているのか 自分に問うたことがあるだろうか。
それを知ることを主眼に置いて、深く瞑想したことがあるだろうか。
いや ない。
ぼうっと しているとき、夢を見ているときでも、何を探しているのか うすうす感じてはいる。
だが、けっして明確ではない、正確ではない。
あなたは まだ はっきりさせたことがない。
はっきりさせようと すれば、そして はっきりすれば するほど、探す必要がないと 感じるようになるだろう。

ぼうっとしているとき、夢を見ているときにしか、探求は続けられない。
事が明らかでないと、内部からの衝撃に 引っ張られ、内部からの刺激に突き動かされ、探し続けるしかなくなる。
あなたが 本当に知っているのは ひとつだけ、探す必要がある ということだ。
これは 内から来る要請だが、あなたは 何を探しているのか わからない。

だが、 探し求めているものも知らずに 見つけられるだろうか。
あなたは、お金、権力、名声、尊敬の中に それがあると考える。
しかし、それからあなたは、尊敬を受けている人々、権力を持っている人々を見る。
彼らもまた探している。
あなたは、途方もなく豊かな人々を見る。
彼らもまた 探している。
人生の 最後の 最後まで 探し求めている。
だから、豊かさは 用をなさない、権力は用をなさない。
何を持っているにしても、探求は続く。

何か別のものを 探さねばならない。
お金、権力、名声 ーー こうした うわべだけの、見せ掛けのものは、マインドを満足させるに過ぎない。
何か探しているのだと、実感し易くしてくれるに 過ぎない。
その 何かは いまだはっきりせず、きわめて獏としている。


本当の探求者、少し注意深く 意識的になった探求者にとって 最も重要なのは、その探求を明確にすること、それが どういうものか明確な考えを持つこと、夢見る意識から 探求を抜き出し、きわめて俊敏な意識のもとで それと出会うこと、直接 覗き込み、それと直面することだ。
たちまち変化が生じる。
その探求を 明確にしだせば、あなたは興味を失い始める。
明確になれば なるほど、興味は薄れる。

ひとたび それが明らかになると、突然 探求はやむ。
探求するのは 注意深くないときに限られる。

繰り返そう、探求するのは あなたが眠っているとき、覚めていないとき、無意識のときだけだ。
無意識が 探求に向かわせる。

そう、ラビアは正しい、内側に光はない。
内側には 光も意識もない。
だから、あなたは当然のごとく 外を探し続ける。
外の方が よく見えるように思えるからだ。



(01)終わり・・・(02)へ 続く