saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第3話 ーーー 知識は禍いなり(05)

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洞察とは ひとつの無思考状態を言う

それは思考のプロセスの中の ひとつのすき間,幕合いなのだ
そして,そのすき間の中に 一瞥が
〈真実〉が ある


英語の “ 空っぽ(empty) ” という言葉は
“ 暇である ” “ 手がすいている ” という意味の語源から来ている
もとをたどれば,それは ビューティフルな言葉だ
その語源は とても深い意味を孕(はら)んでいる
それは暇である,手がすいている という意味なのだ
いつであれ あなたが手すきのとき,暇なとき
あなたは 空っぽだ
そして覚えておきなさい
“ 空っぽの心は 悪魔の仕事場なり ” などという諺は
まったくのナンセンスだ
真実は ちょうどその正反対なのだ
取り込み中の心こそ悪魔の仕事場だ
空っぽの心は神の仕事場だ
悪魔のじゃない
ただし,あなたは 空っぽというのを
私がどういう意味で使っているかを 理解しなければならない

それは暇である,リラックスしている,
緊張していない,動いていない,欲望していない
どこに向かっているのでもない
ただ ここにいる
まったく ここにいる ーー

空っぽの心というのは ひとつの純粋なる〈現存〉だ
そして,その純粋なる現存の中で 一切が可能になる
なぜならば
全存在が その純粋なる現存から 出てくるからだ


この樹々は その純粋〈現存〉から成長する
あの星々も そうした純粋な〈現存〉から生まれている
ここにいるわれわれ,あらゆるブッダたちも
この純粋〈現存〉から出てきている

この純粋な〈現存〉の中において
あなたは 神の中にいる
あなたは神 な の だ

手一杯なとき
あなたは 転落する
手一杯なとき
あなたは エデンの園から 追放される羽目になる

手がすけば
あなたは そのエデンの園に戻っている
手がすけば,あなたは〈我が家〉に帰っているのだ


心(マインド)が 現実(リアリティー) によって,物事によって
さまざまな思考によって 手一杯になっていないとき
そこには〈 在 る そ の も の 〉がある
そして,その 在るそのもの こそが〈真実〉なのだ
〈空〉において はじめて
そこに ひとつの出会いが,融合がある
〈空〉においてはじめて,あなたは〈真実〉に対して開き
そして,〈真実〉が あなたの中にはいってくる
〈空〉において はじめて
あなたは〈真実〉を 懐胎する


心(マインド)には,これから言う 三つの状態がある

第一は 中身プラス意識
心(マインド)には つねに中身がある
ひとつの思いが漂い
欲望が湧き上がり
怒りがあり,欲があり,野望があり ーー
心(マインド) には いつも何らかの 中身がある
心(マインド)というのは けっして手がすくことがない
その人通りは,年がら年中絶え間がない
起きている間も それはそこにあるし
寝ている間も それはそこにある

起きている間なら,あなたは それを思考と呼ぶし
寝ている間なら,あなたは それを夢と呼ぶ
それは同じ プロセスにすぎない
夢というのは もう少し原始的なもの
それだけのことだ
というのも,夢の中では 絵で考えるからだ
夢は 概念など使わない
それは 絵を使う
それは より原始的だ
ちょうど 小さな子供たちのように ーー

彼らは 絵で考える
だから幼児向けの本には
大きな カラフルな絵を載せなくてはならない
彼らが 絵を通して考えるからだ
絵を通して 彼らは言葉を学ぶ
だんだんと,そういう絵は 小さく小さくなっていって
最後には 消え失せる


原始人もまた絵で考える
最古の文字は みな象形文字



(06)へ 続く