saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第3話 ーーー 知識は禍いなり(03)

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つい先日,私はひとりの求道者と話をしていた
彼は求道者としての性質を備えてはいるが
知識という重荷をしょい込んでいる
私が彼に話をしている間に
彼の目には 涙があふれ
彼のハートは いまにも開こうとしていた
すると,まさにその瞬間 ーー
心(マインド) が飛び込んできて
その美しさ全体を ぶち壊しにしてしまった
彼は ハートに向かって
開放に向かって動き出すばかりだった

ところが,即座に彼の心(マインド) が 割り込んできた
いまにもこぼれ落ちんばかりだった涙は消え失せてしまった
彼の目は乾いてしまった
何が起こったのだろう ?
私が,何か彼の同意できないことを言ったのだ
彼は ある地点まで私に同意していた

そこへ私が,何か彼のユダヤ人の背景と対立すること
カバラ(ユダヤ教密教)と 対立することを言った
すると,たちまちにしてエネルギー全体が 変わってしまった
彼は言う
「何もかも正解です
あなたのおっしゃることは何もかも合っています
けれども,神が何の目的も持たない
存在というものが無目的に存在するという このひと事
これには私は 同意できません
なぜならば,カバラはちょうどその正反対 ーー
生命は目的を持っている
神は 私たちをある特定の目的地に導こうという目的を持っている
私たちには 定められた目的地がある ーー
という正反対のことを言っているからです」


その 比較が割り込んだために
彼は それを「その瞬間自分は取り逃したのだ」,と
こんなふうに見ることもできなかったに違いない
カバラに私と 何の関係がある ?
私と一緒にいるときには
あなたの カバラやヨーガやタントラや
あれやこれやの知識を全部 脇にのけなさい
私と一緒にいるときには,私と い る のだ
もしあなたが トータルに私と ともにいたら・・・

そして私は,あなたが私に同意していると言っているんじゃない
覚えておきなさい
私は,あなたが私に同意すると言っているんじゃない
そこには 賛成だの不賛成だのという問題は何もない


バラの花を見るとき
あなたは それに賛成したり不賛成したりするだろうか ?
太陽が昇るのを見るとき
あなたは それに賛成だろうか,それとも不賛成だろうか ?
夜,月を見るとき
あなたは ただただそれを見るだけだ !
あなたは それを見るか見ないかのどちらかであって
そこに賛成だの不賛成だのという問題は何もない
そういうふうに私と一緒にいること
それがマスターとともにいる い方だ
ただ私と一緒にいてごらん
私は 何かあなたを説き伏せようとしているわけじゃない
私はあなたを
何かの理論や哲学やドグマや
何かの教派に改宗させようとしているのじゃない
私は ただ,私に起こったことを分かち合っているだけなのだ

そして,まさに その分かち合いの中で
もしあなたが それに 参 加 すれば
それはあなたにも 起こり得る
それは 伝染性を持っている
洞察というのは 人を変身させるものだ
私が「知識は禍いだ」と 言うとき
あなたは 賛成することもできるし,不賛成でいることもできる
は ず れ !
あなたはただ それに耳を傾けるだけでいい
ただそれを 見抜くだけ
知識というものの プロセス全体に はいって行くだけでいい
あなたは,知識というものが どのように距離をつくり出すか
知識というものが どのようにひとつの障壁(バリアー)になるか
知識というものがどのように間に立ちはだかるか
知識というものがどのように増え続け,距離が増し続けるか
無邪気さが どのように知識を通じて失われてしまうか
驚きが どのように知識を通じてぶち壊され
かたわにされ,殺害されてしまうか
生が どのようにして知識を通じて
どんよりした退屈なものになってしまうかを 目のあたりにする
神秘は失われ
神秘とともに神が失われる


神秘が消え失せるのは
あなたが 自分は知っている という観念を持ちはじめるからだ

あなたが 知っているとしたら
どうしてそこに 神秘があり得る ?

神秘が可能なのは,あなたが知らないときに限る
そして,覚えておきなさい
人間は 何ひとつ知ってなどいないのだ !

われわれが寄せ集めたものなど すべてただのガラクタにすぎない
〈究極なるもの〉は依然として 手の届く範囲を超えている

われわれが寄せ集めたものは〈事実〉にすぎない
〈真実〉は われわれの努力によっては 触れられないままだ
そして,そのことは
仏陀や クリシュナや
クリシュナムルティや ラーマの体験であるばかりでなく
エジソンニュートン
アルバート・アインシュタインの経験ですらある
それは 詩人たちや 画家たちや 舞踏家たちの経験でもある
世界の あらゆる偉大な知性たち・・・

それは神秘家(mystic) であるかもしれないし
詩人であるかもしれないし,科学者であるかもしれない
が,彼らは皆 ひとつのことに関して完全に 一致している
それは われわれが 知れば知るほど
われわれは 生というものが ひとつの絶対の神秘である ということを理解するということだ

われわれの知識は その神秘をぶち壊しはしない
自分たちが 少しばかり知っているからといって
もうこれ以上 生の神秘などないと思うのは 愚かな人々だけだ
知識に過剰なまでに 執着するのは凡庸な 心(マインド) だけだ

知性的な 心(マインド)というのは知識より高いところにとどまっている

知識を 使うことはある
間違いなくそれを使うことはある
それは 有益なものだ
それは 実利的なものだ
だが,よくよく わきまえておくがいい
すべて 真実なるものは みな隠されたままでいる
われわれは 知りに知り続けてゆくこともできる
が,神は 無尽蔵のままだ


洞察をもって,注意力をもって
全体性(トータリティー) をもって 耳を傾けなさい
そうすれば,まさにその視界(ヴィジョン)の中で
あなたは 何かを見るだろう
そして,その 見 る ということが あなたを変える
あなたは “ how ” など 聞きはしない


それが クリシュナムルティの言う「否定は静寂なり」の意味なのだ


(04)へ 続く