saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

質疑応答「あなた自身が問題……」by OSHO

「あなた自身が問題……」02

過去は消え去り、未来は まだ現われていない……

両方とも ここには ない―――在るのは現在だけ

 そして 現在の中には

エゴのようなものは 何も見つかりはしない。

 

となると、エゴを落とせと言う場合

私は 何を意味しているのかな ? 

私は あなた方に新しい希望を与えているのではない。

私は あなた方の希望を すべて取り上げているのだ。

が、これはむつかしい……

というのも あなた方は希望を通して生きているから

希望を 全部 取り上げられたら

死んだような感じがしてしまう。

そうなったら 問いが出てくる。

なぜ 生きる ? 

何のために…… ? 

なぜ 瞬間から 瞬間へと動く ? 

何のために…… ? 

希望の消失とともに ゴールもまた消えてしまった

だから、到達するところは もうどこもないのに

なぜ 生きつづける ? 

希望なしに生きるなんて とてもできるものではない―――

だからこそ エゴを落とすのが こんなにもむつかしいのだ。

希望が 人生 と同義語になってしまっているのだから……

 

 希望をいだいている ときには

人は 常より活気に満ちて見える

生き生きして見える

非常に力強く見える。

希望をもっていないときには 弱々しく憂うつそうだ。

あるがままの自分自身だけがとり残されて

何をどうしていいのか どこへ行っていいのか わからない。

希望がないときには いつでも

あなた方は 自分の中に 意味の喪失感を覚える。

そして たちまち また別の希望を創りだす。

代わりが創られる。

一つの希望が 挫折すると

すぐにも別の希望がとって代わる。

なぜなら あなた方は その間際(ギャップ)の中で生きることはできないからだ。

 

 希望なくして あなた方は生きることはできない。

しかしあなた方に 言っておこう。

それこそ唯一の生き方だ と……

希望がなければ、〈生〉は リアルだ。

そのとき はじめて〈生〉は真正なものとなる。

 

 したがって理解すべき 二つ目のことは……

私が、自我(エゴ)を落とすことは易しいことと言うときには

あなた方にとって それが易しいという意味ではない。

私は、 自 我 を 落 と す こ と は 易 し い と 言っているだけだ。

なぜなら

自我(エゴ)という現象自体が あまりにも非現実的なものだからだ。

エゴが 偽りであるのなら

それを 落とすことが なんでむつかしかろう ? 

夢とは たんなる夢にすぎないのなら

そこから出てくることが なんでむつかしかろう ? 

 

もし現実(リアル)のものだったら

そのときには むつかしいことになっただろう。

 

夢が たんなる夢にすぎないなら

そこから出てくるのに どこに問題がある ? 

あなたは そこから 出てこれる ! 

その夢は あなたを捉えることはできない。

その夢は あなたを妨げることはできない。

その夢は 障害物になることはできない。

夢には どんな力もない―――

だからこそ 夢と呼ぶのだ。

夢の中から 出てくるのは 易しいこと……

これこそ、 自我(エゴ)を落とすのは簡単だ

と言うときに 私が意味することだ。

 

 しかし、それが  あなた方にとって簡単だ

とは 私は言ってはいない。

なぜなら、夢は あなた方にとって依然として 現実(リアリティ)だからだ。 夢が夢でなくなっているのだ。

あなた方にとって 自我(エゴ)は虚偽ではない。

むしろ それが唯一の現実(リアリティ)だ。

ほかの すべてのほうが 偽りとしてある。

 

 私たちは エゴの周りで生きている。

 

 

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