saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

質疑応答「六日目の朝」by OSHO

「六日目の朝」07

(そして三番目が 起こったときには

性エネルギーが 瞑想エネルギーになった ということだ。)

 

あなたは 今や セックスの外に出ている。

あなたの肉体は 愛する人とともに 一体となって横たわっているかもしれない。

しかし あなたはもう そこにはいない―――

あなたは新しい世界の中に移植されている。

これこそシヴァ神が、ヴィギャン・バイラブ・タントラの中で、あるいは ほかのタントラの教典の中で語りつづけていることだ。

彼は この現象のことを語っている。

つまり、

あなたに変質が、突然変異が起こるということ。

 これは、証人のように己れを 見まもることを通じて起こってくる―――

 

 もしあなたが 抑圧の道を辿るなら

たしかに あなたは いわゆる “人間” になれるだろう……

が、その内側は いかさまで、表面的で、虚ろだ。

ロボットのようで、まったく真正さがない

真実味がない―――

 が

もしあなたが 抑圧を執らずに耽溺の道を辿るとしたら

あなたは 動物のようになるだろう。

美しい !  いわゆる 文明人間などより ずっと美しい。

しかし、ただの動物だ。

心することなく、目覚めることのない動物だ……

成長の可能性も、人間的な潜在的可能性も

まったく意識することがない。

 

 エネルギーを変容させることができたら

そのときには あなたは 神性を得る。

だが憶えておきなさい。

私が 神性と言うときは、この二つ両方ともが その内に暗示されているということを。

まず、その存在の 全面的な美しさをともなって

野生の動物が そこにいる。

その野生の動物は 拒否されてもいないし 否認されてもいない。

彼は より豊かになって そこにいる。

前よりずっと注意深くなっているからだ。

そこには野生の質すべてが その美しさをともなって在る。

それにまた

文明が ずっと強制しようとしてきたものすべても そこに在る……、 が、強いられたかたちでなく、自然発生的だ。

ひとたび エネルギーが変容されたら

自然と神が あなたの内部(なか)で 出会う。

自然は その美しさをもって

神は その十全なる慈愛をもって―――出会う。

 

 これこそ “賢人” の意味だ。

賢人とは 自然と神性の出会いを意味する―――

創造物と創造主との出会い

肉体と霊魂との出会い

低きに在るものと高きに在るものとの出会い

大地と大空との出会い

 

 老子は言っている。

〈道・タヲ〉は、天と地が出会うとき起こる、と……

ふむ?

これこそ “出会い ” だ―――

 

 見証人のように  見 て い る  こと

これこそ基本的な源泉となるものだ。

しかし

生活の中の他の行為において 証人になろうともしないのに、性行為の中で 己れの証人になることは むつかしい。

だから、一日中 試みることだ。

さもなければ あなたは自己欺瞞に陥るだけ。

 もし

道を歩いているときに 自分の証人になることができないのなら

……自分自身を だましてはいけないよ

セックスの内にあるとき証人になれるはずがない。

というのも、ただ道を歩く ということ

この単純な過程(プロセス)―――

それにおいてさえ 己れの証人になれない

無意識の中に陥ってしまうというのに

いったい どうやって 愛を交わしている最中に証人になどなれよう ? 

セックスの 過程(プロセス)は 非常に深い……

あなたは 無意識の中に 落ちていく―――

 

 あなた方は 道を歩いていても無意識の中に落ちる。

やってみてごらん。

数秒のあいだでさえ あなた方は覚えていられない。

やってみるがいい。

道を歩きながら こうやってみるのだ。

自分は 今歩いていることを 覚えていよう

自分は 歩いている、自分は 今歩いている……

が、数秒後には すっかり忘れてしまう。

何か別のことが 頭の中に 入りこんでくる。

あなたは どこか別の方向を 追いはじめる。

もう 歩いていることは完全に忘れている―――

 と

突然 あなたは思い出す、自分が忘れてしまったことを。

このように

歩く というような ごく簡単な行為さえ意識することができないとしたら

セックスを意識的な瞑想にすることは大いにむつかしいことになるだろう。

 だから

まず 簡単なことから、簡単な行為からやってみなさい。

食事をしているとき やってごらん。

歩いているとき

話しているとき

聴いているとき、やってみるがいい。

あらゆるところから 試みることだ。

 それをあなたの内側で途絶えることのない槌音(つちおと)にすること

心身全体に、あなたが 注意深く敏感であろうと努力していることを知らしめなさい。

そうしてこそ はじめて

いつの日か 愛の中で

見証人のように  見 て い る こ と   が 起こるだろう。

 

 

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