saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第七章「音に関する第九の技法」01

「音に関する第九の技法」01

『 AH(アー)で終わる音を唱える 』

 

『「アー(AH)」で終わる言葉を静かに唱える。

そして「ハー(HH)」の中で、努力なく、無為自然が。』

 

  「アー」で終わる言葉を 静かに唱える。

「アー」で終わる言葉なら なんでもいい。

静かに 唱えてみる。

重点は 最後の「アー」に置く。

なぜか。

それは、「アー」の音が唱えられると、息が 外に出るからだ。

あなたは観察したことがあるだろうか。

なかったら 今から 観察してごらん。

息が 外に出るとき、 あなたは静かになる。

一方、息が 中に入るとき、あなたの緊張は大きくなる。

なぜなら 出る息は死であり、入る息は生だからだ。

緊張は 生に属するものであって、死に 属するものではない。

くつろぎは 死に属する。

死とは 全面的なくつろぎだ。

生が 全面的にくつろぐ ということはありえない。

それは 不可能だ。

 

  生とは 緊張や努力を意味する。

死だけが くつろいでいる。

だから、完全にくつろいでいる人間は その両方 ーー 外面は生きていて、内面は 死んでいる。

ブッダの顔には、 生と死の両方が 同時にうかがえる。

だからこそ、あれほど静かで 穏やかなのだ。

静は 死の一部だ。

生は くつろぎではない。

夜、 眠っているとき、あなたは くつろぐ。

だからこそ古い教えでは、「死と眠りは似通っている」と 言われるのだ。

眠りは 一時的な死であり、死は 永続的な眠りだ。それだから 夜は くつろぎをもたらす。

夜は 出息(しゅっそく)で、朝は入息(にゅうそく)だ。

 

  昼は 緊張をもたらし、夜は くつろぎをもたらす。

光は 緊張をもたらし、闇は くつろぎをもたらす。

だからこそ明るいときには 眠れないのだ ーー なかなか くつろぐことができない。

光は 生に似ている……死に 対立している。

闇は 死に似ている……死に 近しい。

 

  だから闇の中には深いくつろぎがある。

闇を 恐れる人はくつろぐことができない。

なぜなら、くつろぎとはすべて闇であり、また闇は あなたの生涯を両側から包んでいるからだ。

生まれる 前、あなたは闇の中におり、生が 終わったあと、あなたは また闇の中に入る。

闇は無限だ。

この光や この生涯は、ただ闇の中の 一瞬にすぎない。

ちょうど 波がせり上がっては 沈み込んでいくようなものだ。

両側を包んでいるこの闇を思い出すことができたら、きっとあなたは 今ここにくつろぐ。

 

  生と死、それは〈存在〉の両面だ。

入息は生であり、出息は死だ。

 

 

01 おわり……02へ つづく

 

 

 

タントラ秘法の書   第四巻

「沈黙の音」

ヴィギャン・バイラヴ・タントラ

 


講話   OSHO

翻訳   スワミ・アドヴァイト・パルヴァ

            (田中ぱるば)

発行者   マ・ギャン・パトラ

発行   株式会社 市民出版社