saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

質疑応答「六日目の朝」by OSHO

「六日目の朝」04

(この事実のゆえに

多くの人たちが セックスを楽しめないでいる。

彼らは 完全に動物になりきれない。

彼らの自我(エゴ)が それをゆるさない。)

 

 エゴとセックス―――

これは 葛藤だ、セックス対エゴ―――

エゴイスティックな人で あればあるほど

ますますセックスに反対するようになる。

それほどエゴイスティックでなければ

その人は もっともっとセックスに関わるようになる。

 しかし

エゴの小さい人でさえ 何か感じる……

度合いは 少なかろうが、何かがおかしいと感じることには変わりない。

―――それは罪悪感だ。

 

人が セックスの中に深く入っていくとき

自我(エゴ)は 失われる。

そして その、エゴが消えようとする その瞬間が近づくと恐怖があなたを ぐいと捉える。

 だから人々は

愛を交わし セックスの中に入っていくが

けっして 深く入りはしない、ほんとうに入りはしない。

ただ表面的な所作、交合の所作をするだけだ―――

なぜなら、もしほんとうに愛を交わしたら

文明など すべて落とさなければならないからだ。

頭(マインド)は 脇に置きやって―――

あなたの宗教、哲学、あらゆることを 脇に置くのだ。

と、突然

あなたは 自分の内部(なか)に 一匹の野生の動物が 生まれるのを感じるだろう。

唸(うな)り声が 起こっている

野生の動物のように あなたは実際 唸りはじめる

叫び

うめき

そして あなたが そうゆるしさえすれば

言語は 消えてゆく

音声は残る。

ちょうど 鳥や動物が声を 発するのと同じだ。

突如として

何万年にわたる文明進化は 落っこちる……

あなたは ふたたび

野生の世界の 一匹の動物になって 立つ―――

 

 

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