saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第四章 「〈彼方〉から 」 第五の質問 (02)

(…それは情熱が偉大であるときには自我(エゴ)が 死ぬからだ
自我(エゴ)は 凡庸なマインドのなかでだけ 存在できる )

エゴイスティックなのは ただ凡庸な人たちだけだ
ほんとうに偉大な人たちは エゴイスティックではない
そんなことは ありえない

彼らの生は まったくちがう方向、まったくちがう次元を もつ
それは〈情熱〉という 次元だ


あなたは 情熱(パッション) と 慈悲(コンパッション) という この二つの言葉を
気をつけて 見たことがあるだろうか ?

情熱が変容して 慈悲に なる
情熱から慈悲へと 飛ぶ 量子的 飛躍がある
だが、その量子的飛躍が起こるのは、あなたが百度にまで 沸騰するときだけだ
そのとき 水は水蒸気になる
情熱というかたちで存在するエネルギーが、ある日、慈悲になる
それは 同じひとつの エネルギーだ

慈悲は情熱に 対立するものではない
慈悲は 成長した情熱、開花した情熱だ
それは 情熱の春だ


私は情熱に 大いに賛成だ
あなたのすることは 何でもするがいい
ただし そのなかに没頭することだ
そのなかに 身をまかせることだ
そのなかに 自分を溶解させることだ
そうすれば その溶解が救済になる




第五の質問 (02) 終わり・・・第六の質問へ 続く