saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「究極の錬金術 2」by OSHO,


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二番目の質問 (02)

( 宗教は、バランスの取れた世界を創り出そうとする −−− 何かに 反するわけではない。

善と悪が バランスをとると、それらは相殺し合う )

 

 

一人の人間が 聖人でもなく罪人でもなければ、聖者に なる。

それが バランスのとれた人間だ −−− 罪人でもなければ 聖人でもない。

ただ 深いバランス、相反する 二つの力が、その人の内側で 調和している。

相反する 二つの力が調和すると、あなたは それらを 越える。

 

それは 次のように考えるといい。

時々あなたは、自分は 健康だ と 感じる。

それは バランスが取れていない 状態だ。

また、時々あなたは、自分は病気だ と 感じる。

それは またしてもバランスが取れていない 状態だ。

また、時々、あなたは自分が 健康でもなければ、病気でもない と 感じることがある。

それが バランスの取れた 状態だ。

 

自分が 健康だと 感じるのは、もう一方の極にある ということだ。

あなたは これから病気になるだろう。

 

次のことを 覚えておきなさい。

いつであれ、自分は健康だ と感じ始めたら、境界に あるのだということを −−− あなたは 病気になるだろう。

そうしたことは 毎日 起こる。

が、あなたは 気づかない。

 

いつであれ、自分は幸せだ と 思うと、その幸せは終わる。

いつであれ 何かに気づけば、それは あなたが気づいた事柄から 遠くへ離れた という意味だ。

今度は、帰ってくるのだ。

バランスを 取り戻さなければならない。

また、そのバランスを 取り戻すために、あなたは その反対へと 動くことになる。

 

それは、ちょうど ナタ −−− ロープの上を 歩き、絶えず身体を左右に動かしながら バランスを取る 軽わざ師のようなものだ。

が、その軽わざ師が 余り左に 寄り過ぎると、

今度は、バランスを取るために 右に寄らねばならないことを、観察したことがあるだろうか ?

彼が もうこれ以上 左に片寄れば落ちてしまう と 思ったとき、 バランスを取るために、今度は 右へ寄らなければならない。

我々は、皆 ロープの上を 絶えず歩いている 軽わざ師だ −−− 善から悪、悪から善、健康から病気ヘ、病気から健康ヘ −−− 絶えず 動いている ! 

 

聖者とは、そのロープから 降りた者だ。

今や 彼は、左に動くことも右に動くことにも、心を 悩ませない。

彼は それらを越えた。 宗教とは 超越だ。

聖者は「バランスの取れた 一部であるから、滅ぼすことはできない」と 知っている。

善のみが留まることは あり得ない −−− 善と悪の両方が 必要だ。

その 二律背反を通して存在が在る。

 

それを理解し 悟ること、聖者は ただ その二つの間で 自分のバランスを 取る。

そこに 選択は ない。

彼は 悪に対抗して 善を選択してはいない。

 

 

 

(02)終わり(03)ヘ 続く