saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第18章「意識の光」質疑応答 (07)


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(07)

 あなたは、 怒っていない時に できないことが 怒っている時には できることに 気づいているだろうか ? 

 

怒っている人は 

大きな石を いともたやすく放り投げられる。

怒っていない時には、持ち上げることさえ できないのに。

怒っている時、彼は 大変な量のエネルギーを持っている。

隠れていた エネルギーの源が 怒っている時は 彼とともにある。

 

だから、人は怒ると とても強くなる。

なぜ ? 

どこから そのエネルギーがやって来たのだろう ? 

それは 外からやって来たのではない。

怒っている時、彼の源にある 全てのエネルギーが 一度に燃え盛っている −−− 

怒り、 セックス、 全てが 一度に燃え盛っている。

そういう状況では 

源にある 全てのエネルギーが 手に入る。

だから、どこから怒りが 湧き上がって来るのか、どこからセックスへの 衝動がやって来るか、注意することだ。

 

そしてその衝動、感情に ついて行き、たどっていく。

静かに瞑想し、その怒りと ともに源まで行きなさい。

それは 難しい、 が、不可能ではない。

それは 簡単ではない。

というのも、それは 長い、 根深い習慣に逆らう闘いだからだ。

過去の 全てが、打ち壊される必要がある。

 

そして あなたは、これまで決して したことのない何かをせざるを得ない。

その困難さを 生じさせるのは、過去の習慣の重みだけだ。

しかし、やってみなさい。

そうすれば、エネルギーが動くための 新しい方向が 作り出せるだろう。

 

そうすれば、あなたは 一つの円の 始まりになる。

そして 円においては 

決してエネルギーが 散逸することはない。

 

それまでの湧き上がったエネルギーは 外へと動いて 決して円にはならず、ただ単に散逸することだった。

 

もし 内への動きがあれば、外に動いていた同じエネルギーが それ自身へと 跳ね返ってくる。

私の瞑想は、怒りがやって来た 同じ源へと そのエネルギーを 導く。

そして、それは 円となる。

その 内なる円が マハヴィーラの強さだ。

 

 

(07)終わり(08)へ 続く